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松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

卒業や免許状の取得がかかっているときの、「これでよいか確認してくれませんか?」の相談には極力丁寧にのるようにしている

ここ2週間ほど、履修登録の時節柄、卒業or免許状取得のかかった4年次生の履修相談に多くのった。
そうしたとき、中には「これでよいか確認してくれませんか?」という感じでやってくる学生さんもいる。

相談に来た学生の履修が間違っていることはほぼありえない

さて、こういった学生が誤った履修をしていて卒業できないor免許状を取得できない、という可能性は実はほとんどない。
基本的にほぼありえないとすら言えるだろう。
理由は2つ。
第1に、教務部門の職員なら誰でも知っていることだが、いまどきこの手のチェックはシステムで実行することができる。
このため、4年次の後期になって、履修の仕方がまずくて卒業できないor免許状が取得できないといった学生は機械的に抽出することができる。
その上で追加の履修登録を認めているかどうか、という点については大学によって判断が別れるだろうが、単純な登録ミスであれば履修登録期間がおわったのちに追加させていることがほとんどだろう。
もちろん、システムの設定が間違っていて、結果として判定も間違ってしまうことはありうる。しかし、そのようなことがないように何度も目を変えて条件を確認するのが普通であり、仮に万が一間違っていても最悪学生から指摘されることでわかる。
カリキュラムが変わらない限り判定条件が変更されることもないので、同じカリキュラムのまま何年も問題なく運用されている設定が間違っている可能性は1割もない。たぶん1%くらい、どれだけ高く見積もったとしてもせいぜい5%くらいだろう。
第2に、このように早い段階で確認に来る学生は非常にしっかりしているので、彼ら・彼女らが確認を間違っている可能性は低い。
本当に間違っている学生は通常間違っていることにすら気付かないのであって、履修登録期間内に確認に来たりしやしない。
確認にくるようなしっかりした性格の学生の履修登録内容が間違っている可能性は、同様にどれだけ高く見積もってもせいぜい5%くらいだろう。
このとき、システムの設定も間違っていて、かつ確認にきた学生も間違っている、という確率は、高く見積もって0.05*0.05=0.0025、ということで、たったの0.25%となる。
すなわち、学生が「これでよいか確認してくれませんか?」という感じで確認に来た事象が発生した時点で、その確認はほぼ不要であることが想像できるのであり、相談に来た瞬間に問題ないことが判断できる。

それでも意識的に丁寧に、一緒に確認する

さて、このようなことを考えつつも、こういった学生の相談には意識して丁寧にのっている。
具体的には、履修要項を参照しながら、ひとつひとつ一緒に確認するようにしている。
なぜこのようなことをしているのかというと、そこでの仕事は履修のチェックではなく、彼ら・彼女らの心情に寄り添うことであると考えるからである。
彼ら・彼女らとて、自分たちの履修登録が間違っている可能性が低いことは理解している。
確率は低いのだが、それでも不安なので一緒に見てほしい、というのが心情なのである。
こういった気持ちに対し、4年間を過ごしてくれた学生に感謝の気持ちを持ちながら、この4年間を振り返るような世間話もしながら、一緒に確認することで応えたいと考えている。

実は自分が学生時代に全く同じことをしてもらった経験がある。(いや、世間話はなかったが)
既に就職も決まっていたので、友人同士で成績表を交換してチェックしたりしていたが、それでも不安だったので事務局の方に聞きにいった。
私は事務局を手続き以外で訪問する人間ではなかったので、その方と接したのはそのたった1回であるが、今でも苗字を覚えている。
「お時間とっていただいてすみません」と最後に伝えたら、「身分にかかわることだから」と言ってくださったことを強く記憶している。
自分の側にも、「間違っていたら事務局の責任してやろう。きちんと確認に行けばそうできる」という嫌らしいリスクヘッジの観念があったことは否めない。
そういう感情が学生の側にあると思ったら、対応する我々の方もそのリスクの高さから、「確定的なことは言いたくない」という気持ちにもなりかねない。
でも、そういったときには前述の確率論を思い出して、「間違いなく大丈夫である」ということを最後に伝える。
そこで学生は安心が欲しいのだから、おかしな及び腰になっては仕事を果たしたとは言えないだろう。逆に不安にさせてしまうかもしれない。