松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

RIHE公開研究会「教職協働:日本とイギリスーその相違と実態から得られる示唆―」に参加

過日、広島大学高等教育研究開発センター主催の研究会に参加してきました。
当日は議論の多くが英語でなされました。
まあ、和訳があったのと、先生が通訳をしてくださったのでなんとかついていけましたが、ほとんどわからなかったですね。
高いレベルでやりたいなら、当たり前のようにああいう場に参加できなければ、と思いました。
以下、当日の報告です。掲載にあたり許可は得ておりません。問題や間違いがございましたらご指摘ください。

RIHE公開研究会「教職協働:日本とイギリス―その相違と実態から得られる示唆―」

日時:平成27年9月11日(金)13:00~17:55

場所:広島大学 学士会館2F

講演①ロナルド・バーネット先生(Pro-director、Institute of Education、University of London)「イギリスの大学の未来―日本の大学への示唆」

◆世界の大学の現状
・「研究大学」から「企業家的大学」への変容が世界的に起こっているが、「企業家的大学」以外の概念で、大学は社会の信頼を取り戻せないだろうか?
・知識や知識獲得行動が流動的になるなかで、人文分野はますます必要となっているはずであるが、逆に困難を強いられる状況にある
・現代の大学はさまざまなありかた、概念で語られる傾向にある。ボーダレス大学、市民大学、社会貢献する大学、共同的大学、企業家的大学、世界主義的な大学etc…
◆大学の概念理解
・こういった状況をどう解釈すればよいのか?大学の概念は分解されつつあるのか、それとも復活しつつあるのか
・概念的マトリクスとしては、第一に支持―批判の座標軸が必要。でないと、薄っぺらいコンセプトで人を惑わす大学に堕してしまう
・より具体的には、Superficial(表面的)-Depth(深さ)、Endorsement(現状支持)―Criticality(批判的)の2つの座標軸が検討できる。表面的:批判的な大学は特徴なき大学やデジタル大学、表面的:現状支持な大学は世界クラスの大学、深く、現状支持の大学は企業家的大学、深く、批判的な大学は実現可能なユートピアであり、エコロジカルな大学である
・もう一つの重要な座標軸は楽観論―悲観論である。この概念的空間で、コンセプトのパターンをどう理解すればよいだろうか?
◆「ユートピア的想像」は可能か?
・空間自体が傾いている。いくつかのコンセプト(市場化・グローバル化関連)が全宇宙に荷重をかけている
・イデオロジーに不当に屈してしまわない大学の意義や形態を確認できるだろうか?
ユートピア的想像をすれば、真正な大学、対話的な大学、エコロジカルな大学、ひねくれた大学、公的な大学、社会主義的大学、、、といったキーワードが挙げられる
・妥当性の基準は、次の5つである。①範疇(理論/アイディア/実践/方法)②深度(構造/経験/アイデア)③実現可能性(権限/組織)④倫理(繁栄・人間/組織/社会/グローバル)⑤継続する可能性/出現する属性
・大学に信頼を与える展望としてはどのようなものが考えられるだろうか?これは、たとえば「グローバルエコロジーの一部であること」「世界の繁栄(「持続」のみならず)に貢献すること」「世界と積極的にかかわり、その知識を世界の利益のために生かすこと」
◆まとめ
高等教育の意義づけは、いま非常に困難な状況である。大学への信頼も困難である
・企業家的大学のアイディアは多分にイデオロジー的であり、21世紀の大学のチャレンジとその可能性を狭めるものである
・「エコロジカルな大学」は楽観的、普遍的なユートピアであり、実現可能である

コメント:大﨑仁先生(人間文化研究機構・機構長特別顧問)

・(バーネット先生のお話を要約すると)企業的大学の概念が支配的になり、元々の大学の理念的な考え方が失われつつある。「それでいいのか」という問題提起であった。その異論を発展させて、21世紀の新しい大学を模索しなければならないということであった
・日本では、大学の将来の在り方にかかわるディベートが、政策論議の中でも研究者の議論の中でもあまり出ていない。日本の高等教育政策は明らかに企業的大学を志向しており、国立大学はいずれもその対応に追われている
・基本的な考え方を政府側もはっきり提示せず、受け止める側も意識して受け止めようとしていない。それでは大学のあり方をどう考えるかというディベートが起きてこない
・企業家的大学の元は「地球市民的」な考え方、国の事業はマーケットに任せればすべてがうまくいくのではないかという「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家の理念が行き詰ったあとに出てきたものである
・それを現実の政策に移したのが1980年代のイギリスのサッチャー政権であった
・「国が金を払って国が大学のサービスを買う」は、それまでの「国が大学を支援する」の180度逆である
・日本はイギリスの政策の真似をし、後追いをしながら政策を展開している。今のイギリス政府の政策は、1991年の『高等教育白書』のほぼ考えどおりに進んでいる
・日本には最初から「私立大学」があるので、企業的大学といっていい大学が元々広範囲にあった。国立大学もそういう方向にもっていこうというルール変更がなされつつある
・我々がここでイギリスに見習うべきは、授業料収入を高めるにあたって、「在学生は一切授業料を払わなくてもいい。卒業して支払える能力ができてから払ってくれ」という施策をとっていること。入学・在学中は授業料を払う必要がないので、経済的なハンデがない
・企業的大学の理念、考え方については、大学人の多くは納得していないだろうし、ポリシーメーカーにもそういう人が多いだろう。ただ残念ながら、企業的大学に代わるような大学の模索(議論)は日本においては非常に低調だ
・ヨーロッパ大学協会というところが、世界の大学の大学自治の程度をウェブで示している。ヨーロッパの大学では大学自治というのが大学に対する要求を応える必須条件であるということを強く掲げて実施しているのである

講演②ヘレン・ワトソン先生「The role of administration in UK Universities……with particular reference to the University of Oxford」

・イギリスの大学職員の中心的分野は「大学内部における支援的業務」「政府に対する説明責任の履行」「新たな業務への挑戦」の3つである
・『ロビンズ報告書』では「高等教育は、これを受ける能力を有し、また努力して身につけ、学ぶ意志のある者すべてに門戸を開くべきである」ことが謳われ、実際に学生数は大きく増加した
・「一般的に教育においては、また、さらに卓越している大学教育では、アドミニストレーターは自らの仕事を専らにすべき世界である」(マートンカレッジ調査委員会証拠書類第八巻、オックスフォード大学)
・「私たちにとって大学は何よりもまず法人であり、補助機関や個々の教員が、その教育研究活動に責任を負い、説明責任を有する、という見解を強く主張する。」(英国大学長委員会(CVCP)1985年、『大学における効率的学習検討委員会報告書』

(質問)

①スタッフをどのようにトレーニングしているのか?(京大・山本さん)
(黄先生翻訳)
→フォーマルなトレーニングプログラムはなく、基本的には個人のレベル。個人の背景やニーズ、業務によって3か月、半年、年間の目標を立てる。個人レベルの訓練を行っているところが多い
→オックスフォードは世界の一流大学なので、大学の中のセンターやプログラムを受けることができる。たとえば知識や能力を向上させるプログラム等
→大学の外の全国レベルの関係ありそうなプログラムがあれば、スタッフを派遣している
②政府の説明責任や国の法律にのっとって仕事をするのが中心で、大学の教員へのサポートはそっちのけだった。法人化以降は内部支援業務や新たな支援業務への挑戦が大きくなっている。著作権等のサポートも事務職員が行っているのか?(広大の副理事・職員)
(秦先生翻訳:ヘレン・ワトソン)
→大学のテンションが高まっており、海外からくる学生が減っている。書類ひとつまとめられないことから、ヘフキからの財源が失われるので、ペーパーワーク一つとっても重要
→ヘフキからのグラントが減ってきているのだから、重荷が職員の方にも増えてきている
→ノン・アカデミック・スタッフの責任がますますふえており、学長の責任も増えている
→それぞれの責任がますます増える中で、官僚的な動きが非常に強まっている。エドゥケイション・コミッティーのような会議に何時間も使うような状況になっている

講演③山本淳司氏(京都大学)「我が国における教職協働の実態」

・39歳から41歳にかけて総合政策科学の研究科に39~41歳にかけて入学した。学位を取得したが給与は全く増えていない
(職員の課題)
・定型的業務の繰り返し、工程をパーツ化して文章、マニュアルと前例主義、組織目的に照らさない、仕事のための仕事、考えない快適さ、出る杭を打たれる、因習的人間関係、新しい仕事への不適応現象が頻発、結果として組織への貢献度が低下(孫福、2003)
(課題解決のために)
・キャリア採用中心、自己啓発へのシフト、職務内容の明示、専門性に応じたキャリアパスの構築など
(専門性について)
・職員の学位取得について。トップは博士学位の取得を推奨しているが、扱いにくくなるのではないかという不安をもっている
・ジェネラリスト志向が流動性を阻害しているのか?スペシャリスト志向とジェネラリスト志向がトレード・オフの関係になっている
・「専門性が欠如していれば汎用的である」という理論は成り立たない
・職業人としてのリテラシーが1階部分、所属大学等に固有の知識が中2階部分、2階部分でスペシャリストの専門性とジェネラリストの専門性が交流しているという概念図を考えた
(ホワイトカラーの日本的働き方)
・メンバーシップ型の職員として、職務内容は無限定に受け入れることになる
・職務能力の評価もあいまいになり、実際に運用では年功になる
・チーム単位なので個人の責任があいまいになり、超過勤務を常態化させる可能性がある
(教職協働の実例)
・GPとしておすすめできるのは、「大学評価関係」「組織の設置・改廃(設置申請関係)「システム開発関係」
・設置申請関係であるが、文科省との折衝や学内調整は職員の方がやりやすいことが多い
(職員の立場から見た教職協働の課題)
・大学が扱う業務が高度化し、教員主導の大学運営だけでは困難になりつつある
・縁の下の力持ち的役割からの転換のために、責任と権限の付与を
キャリアプランを描けるよう、キャリアコースを明示した方がいい。それだけのコストをかける必要がある
・教員は混合物で、職員は化合物である。前者ではそれぞれが個人として存在しているが、後者では化学変化を起こして一つになった状態である
(まとめ)
・(組織の立場から見れば)事業には必ず職員が必要であるが、教員が組織業務を中心とした職員組織に入るわけではない
・(個人的の立場から見れば)適度な距離感を保ちながら、互いに尊重し合う必要がある。また、ルーティンワークを処理する職種を設定するのも一つのやり方だ。グレーゾーンを全て職員が担い、教員が教育研究に没頭するやり方もある
・ルーティンワークを区分して設定していくと「職員間の格差」が生まれてくるのは当然のこと。効率的に物事を進めるには、この格差を受け入れる土壌がないとダメなのではないかという仮説を持っている

講演④篠田雅人氏(学習院大学)「大学における教職協働―日本の私立大学の事例―」

・教員・職員・学生の三層構造は病院に似ている。層の違う人がいる組織はそんなにない
・最近では教員と職員の中間的な仕事も増えてきている
・かつては職員自ら「ジムヤ」と称していたほど受け身の仕事観をもっていた
・転職して勤務し始めたときに、「大学の構成員としての職員がどうあるべきか」という問題意識をもち、大学院に進学し、以来研究活動を継続している
・教職協働というが、昔からやっていたはずである
・日本の私立大学の職員は典型的な日本的労働慣行にある
・大学経営人材・高度専門職のイメージとされる「スペシャリスト志向」とは乖離しているという現実があり、人材育成の在り方の問題と密接に関係しているという問題意識をもった
・「総合職」と言えば聞こえはいいが、「何でも屋」である
(私立大学職員の仕事への意識―職員調査データの分析から―)
・職員の研修は、「技」に過ぎず、「考え方」にまでなかなか到達しない
・実際に身についている知識・スキルは全体として低調であり、学内研修・大学団体研修ともに約40%が未経験であった
・「大学院」・「自学自習」の学習経験、「理念・ミッションを意識している」ことがプラスに影響している
・教職協働を実現していくためには、「プロフェッショナル」=「ゼネラリスト」×「スペシャリスト」であることが望ましい
・将来の志向性をクロスすると、「スペシャリスト志向」と「ジェネラリスト志向」の重複する割合が40%おり、「プロフェッショナルとなりうる層」と仮定できる
(職員の人材育成=教職協働の大前提)
・組織の理念やミッションが共有されていること
・体系的な育成・研修構成を構築すること
・学習機会と学習内容の関連性と有効性を検討すること
キャリアパスを明示し、組織と個人のベクトルをできるだけ合わせること
・しっかりとした人事評価制度を構築すること(今の状態では「働いた者負け」になってしまう)
・大学を支える構成員であることの自覚・熱意と、教員と対等に議論するための理論武装も必要である

質疑応答
※メモをとれず