松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

大学院に行ったから成果を出せるようになるわけではない。成果を出す人は常に出す。

ここ最近いろいろな方のご協力を得ながら、9月の上旬に行われる大学行政管理学会定期総会における分科会の準備をすすめています。
特に登壇者の皆様には大変お世話になっているところです。
この分科会では、SDがテーマとなっていて、わかりやすい素材として大学院進学を取り上げています。
私はどちらかといえば全体をコーディネートというか、企画運営する側なので自身が多くを表現することはないと思うのですが、否応にも自分の仕事と大学院進学の関係について考えてしまいます。

ひとつ自分に対して言えることは、

大学院に行ったから成果を出せるようになるわけではない

ということです。
仮にですが、大学院に行っていなかったとしたら、今と同じだけの成果は出せないのかと言われると、それは否です。
成果を出す人は状況に関係なく常に出すと思うからです。
なんの成果も出ていないとして、大学院に行くことによって突然成果が生まれ始めるか、といったらそれは甘いと考えます。

ただし、たしかに、大学院に行ったから成果を出せるようになるわけではないのですが。

大学院に行ったことで、ドライブがかかる感覚はあります。

すなわち、大学院に通うことで何が重要で何が重要でないのか、どこに力を割いてどこを抜くべきか、そういった視点がより研ぎ澄まされてきた感覚があるということです。
たしかに、短期的な、半年程度の成果で見れば、大学院に行っていようがいまいがあまり変わらないかもしれません。
ただ、これを半年を越えるような長期的な時間軸で見れば、描いているカーブが全く違うものになるだろうと感じています。
でもこれはわかりません。少し先の自分への評価から自動的に決定されることと思います。

このため、大学職員の大学院進学モデルとしては、
成果を出している人がいる→より多くの成果を生み出したくなる→大学院に進学→さらに成果を生み出し始める、というAモデルがやはり望まれるかなあと思いますし、
成果を出していない人がいる→何らかの成果が欲しくなる→大学院に進学→やはり成果を出せない、というBモデルが仮にあったとしたら、それは大学院進学のせいではなく、「元々そうである」ということが再確認されたに過ぎないのではないでしょうか。
成果を出していない人がいる→何らかの成果が欲しくなる→大学院に進学→成果を生み出し始める、というCモデルこそが本来高等教育機関としては一番欲しいものではあるものの、現職で進学した立場から見るとちょっと現実的ではない(理想的であるにせよ)という風に感じます。

9月の学会の定期総会では、高等教育関連の大学院(かなり数が限られます)に通う皆様に登壇いただきます。
私自身は司会的な立場ではあるものの、一番現職の在籍者も修了生も少ないのが、自分の通う広島大学大学院だと思います。
こういう状況は、自分にとっては「広島大学高等教育研究開発センターで学んでるもんはなんぼのもんなんや」という視線を一身に浴びることと同じです。
少なくともそういう自覚をもって、センターのお名前を汚さぬよう、ベストを尽くしてきたいという考えです。
(本当はレベルが追い付いていなさすぎて「お名前を汚さぬよう」というのはほとんど難しいのですが、、それでもベストを尽くすという意味です)