松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

谷川俊太郎さん出演の『情熱大陸』を見ました―「日本と私」…今の世の中は、偽善的な言い方が流行っているから―

先日の日曜日、『情熱大陸』の出演が私の大好きな詩人である谷川俊太郎さんだったので、熱心に見てしまいました。
この番組そのものも好きなので、二重の楽しさでした。

こちらが、『情熱大陸』のファン?ブログです。shinnji28.hatenablog.com

こちらが、谷川俊太郎さんのファン?ブログです。shinnji28.hatenablog.com
ここで取り上げた詩「うんこ」が同様に情熱大陸でも取り上げられていました。

私が谷川さんの詩のファンになったのは教科書由来ではありません。
木下牧子さん作曲の「春に」という合唱曲がきっかけです。こちらが本当に素晴らしい歌でした。
以前このことは全然別の雑誌、そう、ちょうどこちらの雑誌で書かせていただいたことでもあります。shinnji28.hatenablog.com
オフィシャルな文書にいったい何を書いてるんだという話ですが、それくらいファンなわけです。
教科書的な詩ではなく、歌から入ったというところにも、不遜な表現かもしれませんが、そういう入りさせ方をさせるところに懐の深さを感じます。
もちろん、「春に」を知る以前から、谷川さんの詩は知識として知ってはいたと思いますよ。
たとえば「朝のリレー」とか。でも、教科書に掲載されていたこともあって、どことなく教育的で、敬遠していました。
しかし、「春に」では音楽という全く別の要素がそこに付加され、さらには15歳という時期と完全マッチし、これまでにない驚きをもたらしてくれました。www.youtube.com

それ以来、私が読む詩集にはやはり「自身も谷川さんのファンであった」という作者がいたりしました。「おお!やっぱりそうなのだな!」という同郷の者を見つけたような喜びがそこにはありました。
たとえばこの方とか。

chori

chori

このchoriさんという方は裏千家の御曹司でありながら、同志社大学在学中に「ポエトリーディング」をストリート風味に取り入れた方で、こちらはその処女作です。
この詩集も好きすぎて、教育実習期間中に(国語科だったので)付属池田の高校生におススメの本を2冊紹介しろ、というオファーの流れの中で紹介したうちの1冊であります。

さて、今回拝見した中で、印象に残った谷川さんの言葉が3つありました。

①「どうやって詩を書いているんですか?」というような素朴なファンの問いに対して

言葉がない状態に、まず自分をもっていかないとダメなんですよ。
言葉をなくすって大変だから。

②「詩っていうのは、人間に必要なものですか?」というスタッフの問いに対して

詩情というものは人間が生まれたときに既に感じていた。
それを言語にするのが詩人の役目だ。

③「戦争」について

偽善的な言い方がはやっている。
子どもは大人が思うほどばかじゃない。
戦争はなくならないという現実から出発しないといけない。

③の「戦争」については、子どもたちに詩を教える活動の中で、保護者に「今の日本の情勢をどう思いますか?」という問いをされて、それに「ひどい時代になったと思いますよ」と答えたあとのインタビュー、という文脈がありました。
率直にいってこのとき、私は「残念だな」と思ってしまいました。
というのも、中庸だろうが右だろうが左だろうが、どのような思想信条があってもよいと思うのですが、なんとなく作家がその作品を離れて、自身の(やや政治的含みもあるような)思想信条を主張することが、あまり好きではなかったからです。
ただ、こうした私の独善的な思いも、最後に溶解してくださいました。思想信条とは言わないまでも、そうした思い含んだ作品を作ってくださったのだろうと感じたからです。
番組の最後に、谷川さんは番組のために作ったその詩「日本と私」を朗読されます。
それがこちらです。
本当は朗読をされたため、文字に書き起こすのは違うかもしれない、という迷いもあります。
言葉で話したことを文字に起こす場合、本来どれが漢字でどれがひらがなでどれがカタカナなのかわかりません。
まあ、文字は番組の画面に表示されましたが、文章と文章のつながりや行間がわかりません。
句のような区切りがあるように画面表示の上では思われましたが、それでは少し不自然な箇所もあって、大体の区切りで切ろうか悩みましたが、番組に忠実にズレも再現して記載します。
特に著作権の関係で問題があったら、ご指摘ください。

「日本と私」谷川俊太郎

私は東京信濃町の慶応病院で
 生まれたそうだ
そこは日本という国の
 一隅だったらしい
赤ん坊のころは日本語ではない
 喃語というのを喋っていたが
長じるに従って
 日本語を喋るようになり
やがては日本語を読んだり
 書いたりするようになって
有難いことにそれで暮らしが
 立つようにもなった
日本が好きかと問われることが
 あるが返答に困る
八〇年以上住んでいる
 (ここ*1)阿佐ヶ谷界隈には愛着がある
母語の日本語は年取るにつれて
 好きになってきた
好きになった女性は
 みな母語が日本語だった
風景で好きなところはいっぱい
 あるがこれは日本に限らない
国会議事堂あたりに漂う日本は
 好きになれない
私が日本人のひとりであることは
 疑えないが
生き物として私は日本人である前に
 哺乳類として分類される
と そんな呑気なことを
 言っていられるのも
私が兵士やテロリストになる運命を
 免れているからだろう
これからの日本がどうなるのかと
 思うことはあるが
どう出来るかを思うと
 自分の力不足を痛感する

引用元は、全て以下。
ただし詩以外の引用は、番組を見ながら書き留めたものです。
詩以外の部分は、再拝見していません。
https://www.youtube.com/watch?v=kHirutIFgLswww.youtube.com

ここまで書いてきて、「オファーをもらって断る」などと暴言を吐いた自分が恥ずかしくなってきました。
素晴らしい番組をありがとうございました。

*1:画面にはありませんでしたが、朗読にはありました