松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

来年やろうは基本的にだめ

最近つくづく思うが、「来年やろう」は基本的にダメな発想である。
大学のようにスパンの長い仕事をしていると、改善するにあたってついつい「来年はこうしよう」などと思ってしまうが、この時点で敗者になってしまっていると強く感じる。
明日やろうは馬鹿野郎という言葉があるくらいで、本質的に人間に与えられているのは今日、さらにいえば今というこの瞬間のみである。
来年?来年なんて本当にくるのか?
今できる改善は、今すぐしよう。おそらく、「来年やろう」は、すなわちイコールやらないということである。
ただし、これは非常にしんどいしつらい。そして嫌がられることも多いだろう。今この瞬間の改善をギリギリ突き詰めていくことは、「そこまでしなくめいいやないか」という話に往々にしてなってしまう。
しかしながら、私が昨年の時点において「来年はこうしよう」と思ったことについて、現実に今年実行できたことがどれだけあるだろうか。
正直こころもとない。
自分という人間は、そんなにたくさんのことを1年後まで覚えていられるほど優秀ではない。そのことを謙虚に自覚すべきであって、いま思いついた改善はいますぐ実行するというプロ意識を持たねばなるまい。
「来年やろう」と思った瞬間、たぶんその改善や施策は実行されないだろう。
「来年やろう」=「やりたくない!いやだ!しんどい!めんどくさい!」という心の声だと思って、そういう心の声をダサいととらえて、今できることはギリギリまで粘って全てやろう。
非常に難しいことだが、これができるかできないかがプロとアマチュアの差だと思って頑張ろう。