松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

高等教育アドミッション論特講(学生募集と入学基準の社会学)課題②中井浩一(2007)「第5章 国大協と文科省」『大学入試の戦後史―受験地獄から全入時代へ』(中央公論新社),pp.152-178.

7月5日に実施いただいた大膳先生ご担当講義の課題です。


2015.7.5

高等教育アドミッション論特講(学生募集と入学基準の社会学)課題②

M156296 松宮慎治

以下の文献を拝読し、「記述内容紹介(要旨作成)」と「疑問や感想の提示」を行いました。

購読文献

中井浩一(2007)「第5章 国大協と文科省」『大学入試の戦後史―受験地獄から全入時代へ』(中央公論新社),pp.152-178.

要旨

京大の後期試験廃止問題

 京都大学は従来前後期制で実施してきた大学入試のうち、後期日程を07年度から廃止することを決めた。大きな理由として、後期入試で入学した学生の成績が問題となっていたことが挙げられる。しかしながら、以上の問題がマスコミで大きく取り上げられることはなかった。なぜならば、この時期併せてPISAとTIMSSの結果が日本の「学力低下」を明らかにしたので、その潮流の中では歓迎こそすれ、大きな問題として捉えられるには至らなかったのである。

国立大の利害争いと高校の本音

 京大の入試前期一本化の目的は、競争力の確保にあった。すなわち、京大の入試が前期に一本化されることで、京大の後期日程をあてにした東大の前期日程へチャレンジする者が減少することが見込まれたのである。こうした実態に対して、進学校の反応は冷ややかであった。たとえば、灘高校の担当者は「東大・京大が入試を前期に一本化しても、基本的には何も変わらない」と述べている。他方で、公立高校や国公立大進学者が少ない高校は、挑戦の機会が少なくなるという問題を抱えることとなった。
 また、京大は、後期入試で入学した学生の質が低いことを入試形態の差に求めてしまった。これでは入学後の教育力を自ら否定することになる。

国大協による入試改革

 2004年4月の国立大学法人化に伴い、国立大学の協議体である国立大学協会(国大協)も社団法人・国立大学協会として新たなスタートを切った。当時のトップであった佐々木毅は強いリーダーシップで「入試と授業料」の変革を試みていた。20年来続いてきた「分離・分割」方式の自由化を目指したのである。最も過激な自由化案として、「前期・後期の複数合格を認め、受験生の自由選択に委ねる「完全自由化」がありえた。しかしながら、法学部の反対を見込んだ京大の反対によって「完全自由化」案は頓挫し、妥当な折衷案として「後期ゼロ」(前期一本化)案が検討された。ところが、これにも委員会内の地方大や教育系大学が反対した。
 最終的に、2004年11月の国大協総会提出された報告書では、08年以降の改革を検討するという「先送り」が明示される帰結となった。にもかかわらず、冒頭にあるように、05年の3月に京大が「フライング」で後期日程の廃止を公表したのである。

自由化論の敗北と国大協の依存体質

 一方、文科省は法人化された2004年の1年間は、国大協や国立大学とどういった距離をとるか決めかねていた。しかしさすがに04年11月の京大の記者発表には危機感をもち、京大や東大、国大協に「分離・分割」方式の大枠を守ることを求めるようになった。結果として、東大は08年以降も後期を継続することを決定し、その実施方法の検討に入ったが、検討された案は入試における文理の区別の廃止を含んでいたことから、文科省が難色を示して頓挫した。
 このように、法人化後の国大協のあり方は、「明確に政策を主導的に提言する」(佐々木隆生;北海道大学教授;国大協入試委員会専門委員)役割を果たすことができなかった。本質論ではなく状況論に終始してしまったのである。国立大・国大協と文科省は典型的な共依存の関係にある。このため、現状維持方針が受け入れられやすい土壌があり、先送りが続いていくのである。

疑問や感想

疑問

 本稿を拝読すると、国立大学にとっての「入試」、中でもその選抜力の重要性が強調されている。本文中にもあったが、入口としての「入試」がその後の学生生活や「出口」としての就職にいかにして繋がっていると考えるのかという点について、国立大の関係者の考えを伺いたい。

感想

 2004年は自身が大学に入学した年であり、実は非常にエポックメイキングな年ではなかったかと振り返って感じる(当時そのような自覚はなかった)。高校生の時、学校の先生から終始言われていたことが①センター試験における5教科7科目の導入②国立大学法人化の2点であり、この新しい枠組みに沿って国立大に入学した最初の世代ということになる。『PISAショック』という言葉が大学の講義で何度も使用されるなど、若い世代の学力低下が危機的なものとして世論を覆っていた雰囲気を記憶している 。
 学校基本調査によると、当時の大学進学率は42.4%であり、大衆化の一歩手前の状況となっている。自身が大学に就職した2008年には49.1%となり、その翌年に初めて50%を越えた。そういう意味では、自身の高校→大学→就職という移行期は歴史的に高等教育にとって大きな転換期にあったはずの時期と重複しているように思うが、あまり大きな変革がなされたという実感はない。色々なことが「問題だ、問題だ」と言われながら、実際のところ特に大きな変革は起こっていないのではないかというのが率直な感想である。