標記の本を読了しました。
章立ては以下のとおりです。
第1部 教師に求められる専門性と力量に関する論議のコンテキスト
第 1章 今,求められる教職の専門性
第 2章 教師教育の質保証と職能開発
第2部 教師に求められる専門性と力量のエレメント
第 3章 教師の専門性としての子ども理解
第 4章 カリキュラム編成・開発における教師の専門性
第 5章 授業における教師の専門性
第 6章 生活指導実践と教師の専門性
第 7章 教育評価における教師の専門性
第3部 教師に求められる専門性と力量のアプリケーション
第 8章 幼児教育における教師の専門性
第 9章 学童保育と学校との連携における教師の専門性
第10章 特別支援教育における教師の専門性
第4部 高等教育・現職教育における取り組みのパースペクティブ
第11章 養成段階でめざす教師の専門性
第12章 現職研修でめざす教師の専門性
第11章が読みたくて購入したのですが、他の章でもたくさん学ぶことがありました。
特に、質保証とかボローニャ・プロセスの話なんかが出てくるところもあって、高等教育と連関しているんだなと改めて思いました。
また、最近はやりの「教員養成スタンダード」が米国の取組みを参照した結果であることもなんとなくわかってきました。
その契機となったのが、以下の3つのレポートだそうです。
①1986年のカーネギーフォーラムで出された「備えある国家:21世紀の教師」というレポート
②Holmes Groupが1986年に出した「明日の教師(Tomorrow's Teacher)」
③1989年にthe American Association of Colleges for Teacher Education(AACTE)が出版したThe Knowledge Base for the Beginning Teacher
これはいつか読まなあかんなあと思いました。
また、印象に残った箇所を2か所ほど記しておきます。
「子ども理解」とは何か
「子ども理解」について述べられた箇所です。
私はこれを、自分の仕事において「学生理解」と置換しても同じことが言えると思いました。(赤字は引用者)
上野ひろ美は,「子ども理解ということ」について,次のように述べている。
子どもをとらえるということは,子どもを説明することではない。子どもを知るというのは,単に親しむということでも観察することでもなくて,取り組むことである。子どもの表現を通してその子と取り組んでみて,子どもの発揮した力,内在していた可能性に触れ,それを見出すことである。(上野,1993:198*1)
教師の専門性としての子ども理解とは,まさに,「取り組むこと」である。
子どもとのやりとりを通して,子どもの表現を認め,教師としてどのようにそれを意味付け,実践的な可能性を見出すかといった作業である。ときには,教師としての自らの見方や枠組みをも疑い,再構築していく作業である。つまり,子ども理解は,教師自身の自己理解と自己変革であるとも言える。
また上野は,続けて次のように述べている。
応答関係のなかでこそ子どもが「見える」のだし,また子どもが変わるのは応答関係のなかで,なのである。(上野,1993:199*2)
教育実践においては,子どもを共感的に理解し,納得しただけでは「いまだその使命を果たしてはいない」のである。教師が子どもに示す要求は,子どもの日常的な要求と矛盾しぶつかり合う場面もある。その「緊張関係の中」で,「働きかける中で」子どもが理解できるのだし、次の援助の方向性が見えてくる。
後段の方などは、つい先日以下のようなことを思ったばかりなので、まさに我が意を得たりといったところでした。shinnji28.hatenablog.com
理論と実践の関係性
また、理論と実践の関係について、あとがきで久田先生が書かれていたことも身につまされるものでした。(赤字は引用者)
…そのなかで互いに確認したのは,「実践現場に出ればよいというものではない。しかし現場に出なくてよいということでもない」であった。問題は,どのように出るかであった。それほどに,理論―実践関係への問いは,不可避ではあるが,私たちを悩ませる大変な難問だったのである。
理論を一方的に実践に押しけるなどは論外としても,自らの理論を補完するために都合のよい実践をきりとってはめ込むことが理論―実践関係だというわけにはいかない。逆に,実践を無条件に肯定してそれにあたかも拝跪するかのように意味づければことが足りるというわけでもない。なぜなら,そこでは,理論と実践のいずれもが,あるいはいずれかが不変的な実体として措定されているからである。そうではなく,理論は自らの内に実践性を胚胎させながら新たに構築され,実践は自らの内にもつ理論的基礎を修正しながら新たに展開されるという契機を作り出すところに,身を投じて理論―実践関係を構築する本旨がある。さしあたっては,両者の関係をこうとらえることができるのではないだろうか。理論フレームをもって実践を検討するのは当然にしても,そのさいに実践者から逆に反論されることがしばしばあるが,そのときにある種の重たい心地よさを感ずることができるのは,そのためである。
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