松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

文学と宗教

今朝バスの中でクリスチャンの英語ネイティヴの先生と一緒になりました。
今日は学生にこんな授業をするのだけど、面白いでしょう。みたいなことを教えていただいて。
そういう話の流れから、大学のときは何を学んでたの?と聞かれて、Japanese literatureですって答えたら、オー!三浦綾子!みたいな感じになりまして。
私も三浦綾子好きなんで、ちょっと盛り上がったんですよ。
でも、三浦綾子がクリスチャンであることは、知らなくても作品読んだらわかります、みたいなえらそうなことを言ってしまいまして。
オー!なぜそう思うの?普通の作家とどう違うの?何が違うの?
と逆に問われて、うまく答えられませんでした。
わかったようなことを言うのはよくないですね。
「いや、なんとなく…」とでも言えばよかったんですが、「人間の弱さや原罪が描かれているのがわかる」みたいな、さらによくわからないことを言ってしまいました。
三浦綾子の作品にキリスト教の匂いを感じるの、なぜなんでしょうね。
もしかして、元々知識として知ってたから、ありもしない匂いを感じてしまっているんでしょうか。
それでも違うと思うんですけどね。

三浦綾子を読んだのは、祖父母の家の書棚にあったことがきっかけです。

氷点(上) (角川文庫)

氷点(上) (角川文庫)

氷点(下) (角川文庫)

氷点(下) (角川文庫)

遠藤周作の話にもなって、高校のときに先生に勧められて読んだ『海と毒薬』を思い起こしました。

海と毒薬 (新潮文庫)

海と毒薬 (新潮文庫)

大学のときの指導教員の先生も多分クリスチャンだと思います。伺ったことはないですけど、多分そうだと感じていました。
それも、その先生が長崎出身だというだけで思い込んでいたのか。
そんなことはないと感じています。やはりクリスチャン独特の空気感と、その空気感が文学と止揚されたときの独特の匂いみたいなものはある気がします。
三浦綾子遠藤周作はたまたま宗教色が濃い作品を書きますが、そうでなくてもそうした独特の匂いがある作品が多いことに鑑みると、文学というものは元々宗教性を内包しているのかもしれません。
学術論文ばかり読んでいると自分を失う感覚がありますので、時々はそれっぽい文学作品をあえて読んだり、それっぽい会話を誰かとせねばなあと思う次第です。