松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

学生が自律的に学びあい始めた喜び

大学が学生に提供できる資源には限りがある。
資源といえば、通常ヒト•モノ•カネを指す。
大学の教職員の数は決まっているので、大学のヒトには限りがある。
大学の設備はそう簡単に充実させられないので、モノにも限りがある。
カネだって、大学が収入を増やすのは困難なので、やはり限りがある。

さて、以上を踏まえて、大学間の競争のことを考えてみよう。
自明のことであるが、こうした通常考えられる資源で勝負しようとすると、体力のある総合大学が順当に勝利することとなる。
もっというと、学生定員の大きい大規模大学から順に勝ちが決まっていく。
ヒトの力には上限がないじゃないかという意見もあるかもしれない。たとえば、個人的には「俺は⚪︎⚪︎大学(歴史ある大規模総合大学)の職員1人が生む価値の3倍を1人で生める」とイキってみたくもなるが、いくら自己研鑽を積もうとも、やはり純粋な大勢力の前では無力であると言わざるをえない。
頑張って1人で10人分くらいの価値はギリギリ生めたとしても、50人分の価値はおそらく生めない。仮に生めたとしても、そんなことをするくらいなら、素直に50人を雇った方が今の大学運営では効率がいいだろう。
すなわち、通常考えられる資源だけで勝負しようとすると、結果として生まれる成果も上位大学の劣化コピーにおさまる可能性が高くなるのである。

では、ヒト•モノ•カネ以外に考えうる資源としてどのようなものがあるだろうか。
私が最も可能性を感じているのが、“学生同士の学びあい”である。
実は、ついさきほどまで、教職課程の学生が結成した先生を目指して勉強する団体の勉強会を見学していた。
そこでは、昨年結成したサークルに新一年生が10名ほど加入し、彼らが自ら設計した企画が展開されていた。
その企画は、実際の採用試験を模した形式で、信頼される教師とは何かということについて役割を決めて討論する、というものであった。
ここではその企画の良し悪しに言及する気はないが、要するに今回に限らず、さまざまな学びを役割分担しながらそれぞれで企画し、毎週同じ場で提供しあい、切磋琢磨しあうということが当たり前のように行われているようであった。
「ようであった」というのは、実に久方ぶりに彼らの会に参加したので、実際のところ状況をよく把握していなかったからである。
ただ、学生たちがよく模擬教室等の鍵を借りにくるので、熱心にやっているのだろうなということは想像していた。

こうした“学生同士の学びあい”には、上限がない。色々なプロセスを経ながら形が変容することがあったとしても、頭打ちにはなかなかならない。
なぜならば、学生は一人ひとり違うのであり、その個性が尊重される限りにおいて、多様性の触れ合いによるある種の科学反応が起き続けるからである。
このとき最も重要なのは、『軌道に乗せる』ということであると考えている。
というのも、“学生同士の学びあい”は、多くの場合単発で終わるか、代替わりによって終焉するからである。継続性に問題があるのである。
よって、どう最初の火をつけ、どう軌道に乗せるかということが担当する教職員の腕の見せどころであり、果たすべき役割の最も重要なポイントである。
今日の活動の雰囲気を見て、基本的にもう自分の手は離れたと感じた。以後はせいぜいちょくちょく見学して、ホームページに記事をアップする程度の関与にとどまるだろう。
ここまでくるのに1年かかった。
立ち上げた四年生から「どうですか?ぼくらのサークル」と感想を聞かれ、一瞬褒めかけたが、自分はもはや褒める立場にはないように感じた。
立ち上げるやつが一番しんどいし、損しかしないんだよと言ってきたが、もしかしたらそうでもないかもしれない。

もちろん、今でも多くの問題はある。たとえば、サークルのように閉じた場ではなく、開かれた学びの場をどう形づくっていくかという課題が存在する。
そうした場を形づくるには、こうしたサークルが複数存在したり、あるい自分たちの学びの場を無関係の誰かに公開したりするなど、なんらかの仕掛けが必要だろう。
しかしながら、そうした課題に悩めるのはある種の贅沢であり、特権であるとも言える。
その手始めとして、他大学の学生と切磋琢磨させたいと考えている。
具体的には、合同の模擬授業のようなものを小さく始めたい。
“学生同士の学びあい”における科学反応の鍵は、多様性にある。
同じ大学内の教科と学年は越えた。次は大学を越えるといい。ボーダーを一度だけ越えさせれば、その快感が忘れられずに勝手に転がり始めるのが学生である。
最初はどんなこともうまくいかないし、誹りを受けるかもしれない。
それでもよければ、うちの学生と他流試合をしてくださる大学があれば、このブログのトップまでご連絡ください。
遠くてもいいですよ。その場合は合宿を検討します。