松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

出張報告⑤自身の報告内容ー教員の「養成」段階にかかわれる素晴らしさ(「教職課程業務を引き継いだ際の戸惑いについて」)―全国私立大学教職課程研究連絡協議会 2015年度定期総会・第35回研究大会―

昨日までの続きです。
最後に、自身の報告内容を簡単に記録しておきます。

www.slideshare.net

私がこのスライドに基づいてお伝えしたことは、おおまかに言って次のようなことです。
発言の記録としてつけておきます。
時間は15分でした。聞いてくださったみなさま、ありがとうございました。

●導入

松宮です。所属は神戸学院大学です。
これはわりとどこでも言っていることなのですが、関西以外にくると、高い確率で神戸女学院大学さんに間違われます。神戸女学院大学さんと間違えられるのは大変光栄です。
一方、本学は1万人規模の共学の大学です。最近学長がしきりに「神戸市最大の」ということを言っています。神戸市内の私立大学で、甲南大学さんの学生数を抜いたんですね。学生数を抜いたからどうなんやという話ではありますが、そういう大学です。
本日は免許事務検討委員会主催の分科会が、午前、午後と2つあります。美納委員長から午前中の分科会で挨拶がありましたが、昨日の総会で組織改編が承認されたため、免許事務検討委員会は今回で解散となります。なので、今回が免許事務検討委員会としては最後の分科会です。
そういう状況にあって、午前中は大阪の城戸さん、午後は神戸の私と、このあと京都の石倉さんと、最後なのになぜか京阪神で固めてしまいました。本当にこれでよかったのだろうかという思いがあります。

●教職課程を担当するまでと、現在の業務と関心

さて、私は去年の6月から委員を拝命している立場で、それほど長く教職に関わっているわけではありません。
2008年に大学を卒業して新卒で入職し、最初は学生支援の部署に配属となりました。2012年の6月に異動となって、以来教職の仕事を担当しております。今月で丸3年になりました。
このタイミング(2014年4月設置予定)で、たまたま本学が新しい学部を作ることになりました。現代社会学部という学部です。この課程認定申請を、2012年度から2013年度にかけてやりました。さらに翌年度は、グローバル・コミュニケーション学部という学部を作りました。ここでも課程認定の仕事をし、さらにこの3月には栄養学部の改組の関係から、再課程認定の申請書を提出しました。
いずれも大学としては久しぶりの課程認定で、さらに色々と厳しくなってきた時期でもあり、タイミングに恵まれたと考えています。
そうした課程認定の仕事、変更届、更新講習等、色々な仕事を今はやっています。大学間連携GP、これは大学間連携共同教育推進事業で、兵庫教育大学さんを代表校とするものです。毎年250万円の補助金を執行させていただいています。それからマニュアル作り、これはのちほどご説明します。
関心ですが、私の関心は、学生同士の学び合い、そうした機会の提供、その結果としての教員採用試験現役合格者の激増です。「激増」のところ、あえて赤字にしてますが、
プロとしてここの数にはこだわりたいと思っています。
本学の教職教育センターのホームページで情報を公開していますので、また見ていただければと思いますが、現役の合格者は過去も今も、非常に少ないです。毎年1名とか2名とか、要は一ケタです。
これを今年度は2ケタに乗せるということを自己点検の報告書で書いていますし、さらに学生にもそのことを伝えて、煽っています。今年の結果にご期待ください。

●教職課程業務の戸惑い(1)

それでは、本題ですが、教職の仕事を引きついだ際の戸惑いについてお話ししたいと思います。
①独自の言語が多すぎる②さらに、その独自の言語が難しい、この2つは似てるんですが、要は何を言っているのかわからないということです。
人生で初めて聞くような独自の言葉がたくさんでてきて、しかも難解なわけです。
また、これは途中で気付いたことですが、それらの言葉、必ずしも全ての人が正しい定義を知って使っているわけではありません。
間違ってつかっていたり、これは私もよくやりますが、実は全然わからないんだけどある種わかっているフリをして使ってしまう、そういう状況にあるように思いました。
③の体系的なマニュアルがない。これは、本学の場合は、ないことはありません。しかし、フォルダの中にバラバラに保管されていて、しかもつけたし付けたしで作ったパッチワークなので、全体像がわからない。
そうなると何が問題か。更新が難しいということになります。つまり、マニュアルは多少あるが、更新しにくいため、結果古くなったり、間違ったりしているものを継続して使ってしまうことになる。
また、勘と経験と度胸で取り組まれている。いわゆるKKDですね。これを私は全くダメだとは思いません。でもこの仕事ではいかにもマズい。特に「勘」がダメだと思います。

●教職課程業務の戸惑い(2)

続いて、④個別的なマニュアルもない。本当にないわけです。しかしながら、学力に関する証明書など、マニュアルなしで作ろうと思うと非常に大変です。これまでどのようにやってきたのかということすら思います。
次に、⑤同僚にわかる人が少ない。これは、元々きわめて少ないのに、異動で忘れてしまうんですね。あるいは、知識が古くなってしまう。これは、最初の課程認定申請のときに実感しました。午前中、城戸さんのお話であった共通開設。私は共通開設が問題だということそのものは理解していたのですが、その内実をよくわかっていませんでした。そこで、文科省に行く前に同僚や先輩、上司によくよく相談して「これで問題ないですよね」ということを確認した。その上で事前相談で「ダメです」と言われたので、これはあかん、自分が全ての責任を持つしかないと思いました。
それから、⑥学内ヒエラルキーは下の方。これは、私自身は自分の所属であまり感じたことはありません。でも、開放制の場合は結局単位が卒業要件外なので、そうなってしまう大学もあるんじゃないかなと思います。

●振り返って思うこと(1)

3年間を振り返って思うことが色々とあります。
まず、業務の責任が非常に重いということを実感しています。
すなわち、自分のミスが他人の身分や職業に直結してしまうのです。これは、以前の部署ではあまりありませんでした。しかも、学内の掟より法律が優先するので、学内の運用でナアナアに処理することができません。
実際にこういうことがありました。本学の附属高校の先生ですが、10年以上前に元々うちで中高の免許状を取得予定だったのですが、旧法から新法の移行期にあって、教育委員会のミスによって、免許状が受理される条件がそろっていたのに、中学校の分が受理されませんでした。当時大学の担当者に相談したら、「それはしょうがないよね」と言われたそうです。
それが10年後に問題となって出てきました。きっかけは、うちの法人が附属中学校を作ることを計画して、附属高校の先生方でお持ちでない方に中学校の免許状をとっていただく流れになったことです。
その先生は、たまたま当時の学力に関する証明書の原本をお持ちでした。だから、他大学の方のアドバイスをいただいて、教育委員会との担当者とも連絡をとりありながら、旧法下での免許状を発行していただきました。
大学の担当者も教育委員会の担当者も、当然変わっています。「10年前なんて、俺大学生やん、知らんがな」とは一瞬思うものの、そういうわけには参りません。ですから、その先生には、遅くなりましたが大学としてお詫びしますとお伝えしました。本来なら、当時教育委員会に「それはおかしいじゃないか」と交渉する必要があったはずです。
その方は同じ法人の先生だったので、なんとか許していただきましたが、本来これはとんでもないことです。
そういう、「絶対にやってはいけないこと」がこの仕事にはあると実感していて、にもかかわらず大学によっては担当者が1人2人とかいうところもあろうかと思いますから、重い責任があるのに、学内で相談できる相手がいない、かつ共感されにくい、そういった方も多くおいでなのではないかと思いました。
こういう状況をなんとかしたいと考えています。

●振り返って思うこと(2)

丸3年を振り返って思うことです。結局、教職の仕事の何が一番面白いのか。それは「人を育てる人」を育てられる、ということだと思いました。
私はこれを「ネズミ講システム」って呼んでるんですけど。
かつて、10年以上前に「ペイ・フォワード」という映画がありました。テーマは、<幸せのネズミ講>でした。
この映画では、ある子どもが、誰かから良いことをされたら、それをそのまま相手に返すのではなく、他の誰か3人に渡すというシステムを開発しています。
教職の仕事も、これに近いと思います。
もしも私が、毎年20人の教員を育てたらどうなるでしょうか。
{20(人)×35(年)}×{40(人)×38(年)}
この計算式、左側が私です。うちの職場は定年が65歳なので、35年間、毎年20人の学生を育てる計算です。
右側が、育てた学生です。毎年1クラスを持つとして、それを60歳まで38年間続けます。
これを掛け合わせたものが、私が育てられる子どもの数です。
書いておいてさっきまで計算をしていなかったのですが、この計算結果、何人になると思いますか?
なんと、「1,064,000人」になります。とんでもない数字ですね。
自分が先生になるよりもはるかに大きな数字です。1人の先生は、一生で1,520人の子どもしか育てられませんので。
私は教員免許も持っていますが、自分が先生になるよりも、さらに上流にいる、源流にいるという意味で、より大きなことができるわけです。
最近の国の言葉では、教員の「養成・採用・研修」という言葉が使われています。
私はこの3つの中で、「養成」が一番素晴らしくて、一番面白いと感じています。
なぜか。それは、この3つの中で、「養成」が一番未来がわからないからです。
自分が育てた学生がどうなるのか、そのわからなさは、「採用」されたあとの先生や、現職の「研修」段階にある先生とはまるで比べものになりません。
未来が全然わからないということは、自分の手で作れる可能性の幅が広いということを意味します。
自分で可能性を生み出す幅、その広さは、「養成」が一番大きいです。

●教員養成をよくしていくために

教職の業務は複雑だとよく言われますが、本当にそうでしょうか。実は、難しそうなことが誰でもわかるように、体系的にまとまっていないだけではないでしょうか。
私はここに寄与したいと考えています。難しそうなことを、誰にでもわかるように体系的にまとめる。
そして、みなさんには、学生を育てるということに力を注げる状況を作りたい。
それから、「お互い様」で、気楽に質問し合いながら、一緒にやっていくという場づくりに貢献したいと考えています。
私自身、そういった場に随分助けられてきました。特に、阪神教協はすごくあったかい地区で、そこを起点とする飲み会、広がる人の輪に随分と助けられてきました。
なので、自分自身もこれからは恩返しのために、そういう場を形作りたいと考えています。
このあと、グループワークをやりますが、そこではそういったネットワーク作りを狙ってやっています。みなさまのご協力で、良い場になればと考えています。
以上で終わります。どうもありがとうございました。