松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究) 課題⑤Abe, Y & Watanabe, S.P. (2012) ‟Some Thoughts on Implementing U.S. Physics Doctoral Education in Japanese Universities’’, Asia Pacific Education Review 13(3), pp.403-415.

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究)の渡邊聡先生担当回の最終課題です。
この論文は、広大のLANから入っても有料でした…


2015.5.21

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究) 課題⑤

M156296 松宮 慎治

以下の文献を拝読し、要旨と感想をまとめました。

【購読文献】
Abe, Y & Watanabe, S.P. (2012) ‟Some Thoughts on Implementing U.S. Physics Doctoral Education in Japanese Universities’’, Asia Pacific Education Review 13(3), pp.403-415.

【要旨】
 本稿の目的は、日米の大学院の比較を通して、日本の伝統的なアプローチの強みと弱みを確認し、守るものと除くものをよく検討することである。日本の大学院改革では経験主義をベースとしたドラスティックな再編が示唆される。しかしながら、そうしたモデルが伝統的な日本の長所抜きに機能するかどうかわからない。実際に、日本の大学院は我々の科学知識に非常に大きな貢献を果たすような科学者を育てている。日本の政策担当官や研究者は謙虚にこの事実を認めるべきである。また、そういった教育がどういう内容で成り立ち、どこを変え、どこを保持するのかを注意深く決定すべきである。このため、代案のメリットとデメリットを明確に理解しなければならない。ここでは、米国の大学の事例としてカリフォルニア大学バークレー校、カリフォルニア工科大学マサチューセッツ工科大学のプログラムを検証した。また、日本の事例として広島大学名古屋大学東京大学を検証した。こうした日本と米国の選ばれた大学院の比較を通して、それぞれの国の中で共通に異なっていたプログラムの特徴が明らかになる。教育組織の構造上の違いも大学周辺の環境の違いも、こうした両国内の対照的な性質によって、米国の博士課程プログラムの日本における実践の妥当性が示された。これらは、日本の大学院教育が直面する国内市場の雇用機会の拡大における示唆に富んでおり、海外のモデルのちょっとした複製は本来の良さや内部の良さを犠牲にすることを示している。すなわち、海外の事例に学ぶ場合には、直接的なカリキュラムの複製でも伝統的な手法の完全否定でもなく、両者のベストミックスを試みなければならないのである。

【感想】
 日本の理工系の教育のレベルは必ずしも否定されるべきものではなく、むしろもう少し評価されてもいいということは、直近でも中央大学の竹内健先生が述べられている*1。また、自身の経験からも、高校時代にイギリスの留学生が約分を正確にできなかったことから、日本の理数系教育のレベルは必ずしも低くないと感じたことや、大学学部時代に3名のゼミで卒業論文の指導がなされたことを思い返せば、日本の教育もそれほど捨てたものではないことが経験的に理解できる。問題は、この論文でも指摘されているように、新しいことを取り入れようとするときにこれまで保持していた優れた点を捨ててしまうことになる可能性がある点である。そういう罠に陥ることなく「ベストミックス」を追求するためには、やはり現状に対する客観的な評価が欠かせないと考える。現状に対する評価が主観的なものに偏ると、新しい手法を導入する際にその必要性を正しく見積もることができず、導入後の検証も正確には行えないからである。海外の文化と日本の文化の融合は日本人の得意とする領域であると思うが、そのことが教育のシステムやメカニズムでも同様に発揮することが望まれると感じる。

*1:「グローバル人材」になるため子供は海外の大学に行くべきか?http://d.hatena.ne.jp/Takeuchi-Lab/20150524/1432420594 (2015年5月24日閲覧)