松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

高等教育基礎論Ⅰ(社会学的研究)課題③-6 中西祐子(1993)「ジェンダー・トラックー性役割観に基づく進路分化メカニズムに関する考察-」『教育社会学研究』第53集、131-154頁

標記、大膳司先生担当回の6個目の課題論文です。これで集中講義の1回目が終わって、2回目は6/14にあります。

ci.nii.ac.jp

要旨

○問題と目的

 学校をメリトクラティックな選抜機関とみなした場合、生徒の進路分化はもっぱら学業成績によって説明される。しかしながら、学校の選抜・配分機能といったメリトクラティックな側面への着目した研究では、非メリトクラティックな要因が関係する女子の進路選択を十分に説明できない。そこで本稿では、進路分化メカニズムに性役割観が寄与することを実証する。具体的には、学校は性別役割観に基づいて生徒の進路を分化させる機能を持ち(仮説1)、性役割観に基づく進路分化パターンには学校差があり、それらが進路選択の機会と範囲を制約している(仮説2)のではないかという仮説を立て、検証する。

○方法

 大都市圏の女子校3校の3年生徒を対象とした質問紙調査を行った上で、学校組織の比較分析と性役割観に関して学校が発するメッセージの分析、および生徒の進路展望の学校差分析を通して実証した。

○結果と考察

 性役割の社会化過程を異にするトラックのどこに入るかによって、生徒の卒業後の進路選択の機会と範囲が制約されることが実証された。すなわち、学校が性役割観に基づく進路配分装置として機能しており、「ジェンダー・トラック」と呼べるものを形成しているのである。

疑問や感想

○学校における性別役割観について

 本稿が掲載されたのは1993年であるが、こうした学校における性別役割観が現在はどのように認識されているのかが知りたい。たとえば、自身が小学生であった1991年~1997年は、クラスの名簿は男女別であったが、中学生となった1998年以降くらいから、男女混合名簿が導入され始めたと記憶している。また、この頃から「男らしさ」「女らしさ」といったジェンダーに基づく価値観ではなく、「自分らしさ」という多様性の追求が学校教育でも考えられるようになったと思う。ゆえに、大学まで含めて、あまり所属していた学校において性別役割観が機能していたという感覚はない。どちらかといえば就職してからの方が性別役割観の影響を色濃く感じることが多く、学校教育の変容に社会の価値観が追い付いていない(もしくは、まだ価値観が変容した世代が多勢を占めていない)という印象をもっている。