松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

高等教育基礎論Ⅰ(社会学的研究)課題②高根正昭著『創造の方法学』(講談社現代新書)の要旨(第3章、第4章)

今回は基礎論Ⅰ(村澤先生担当回)の課題です。
これは遠隔ではなく、ストレートの方もしている通常課題ですね。
以下の本の3章、4章の要旨をまとめました。

創造の方法学 (講談社現代新書)

創造の方法学 (講談社現代新書)

この本、課題だから仕方なく?読み始めたわけですが、むちゃくちゃ面白いです。
課題は決して楽しいわけではない(体力的にはつらい)ですけど、本そのものは知的刺激が喚起されるよい本です。(こんな言い方不遜かもしれませんが)
課題といっても先生が課題の本を選ばれてるわけで、自動的にためになるものを読むことができるというありがたさを感じています。


2015.4.24

高等教育基礎論Ⅰ(社会学的研究)課題②

高根正昭著『創造の方法学』(講談社現代新書)の要旨(第3章、第4章)

M156296 松宮慎治

以下のとおり要旨をまとめました。

1.第3章 理論と経験とをつなぐ―具体的証拠を集める
 リップマンによれば、われわれの生活は「われわれの頭の中にある映像」(イメージ)、イメージに対する行為、現実世界の3点によって成立しているという。このとき、イメージと現実にはズレがあることを認識しなければならない。このことから、研究を組織する際に注意が必要である。すなわち、特定の現象を選び出し、原因を求め、因果関係を設定し、仮説を立てるというプロセスが研究であるが、立てた仮説を経験的事実と照合することによって、イメージとのズレを解消することを求められるのである。これを検証という。
 仮説を経験的事実と照合する過程で手がかりになるのが<概念>である。われわれの認識は現実を正確に把握できるわけではなく、<概念>に導かれて経験的世界の一端をかろうじてつかまえているにすぎない。我々にとって<概念>とは、まるでサーチライトのようであると表現できる。つまり、<概念>が修正されるということは、サーチライトの光が増えたり角度が変わったりするということであり、そのことによって今まで見えていなかった事実が浮き彫りになるということが想像できる。一方、議論が抽象度の高い一般的概念の平面だけで行われてしまうと、それは経験科学ではなくなってしまう。逆に議論が常に経験的世界の平面にとどまるなら、それは社会科学ではなく単なる経験主義者のレポートになってしまう。社会科学が経験的事実に基づいた科学であるためには、われわれは経験と抽象の間を往復する必要があるのである。このときに大事になるのが指標である。仮に「政治エリート」の概念を定義するならば、どのような指標が有効かを考えよう。単に「政治的決定の過程に影響力を持つ人々」という一般的定義づけであれば、誰を観察すればよいかわからない。筆者はこれに対し、「政治的に重要な役職についている人物」という具体的定義を「政治エリート」の指標として採用することで問題を解決したのである。
 抽象と経験を往復する具体例の古典としては、デュルケムの『自殺』が名高い。『自殺』では、宗教によって自殺率に差があることを問題の出発点とし、その背景に社会の統合に関する仮説を生んだ。社会的結合の高い集団であれば、不安感から逃れることができるというのがその基本的発想となっている。このとき、理論の平面では「社会的結合」と「不安」が、仮説の平面では「宗派」と「自殺率」が因果関係によって結ばれている。ただし、一つの仮説が一組のデータによって検証されたからといって、背後の理論が絶対心理となりはしない。しかしながら、検証テストの合格を繰り返すことで、理論の信頼性が高まることもまた事実である。理論の信頼性が高まることによって、まったく別の事象にもその理論を応用し、説明することが可能になる。たとえばデュルケムの場合は、この理論を「家族の結合」と「自殺率」の関係にも応用できた。
 このように、できるだけ多くの経験的事実を説明できるような理論を構築しようとする、その基本的な方法は抽象と経験を往復することなのである。

2.第4章 科学的説明とは何か―イメージから論理へ
 ローソクをフラスコで覆い、火を消すという科学実験がある。火が消えるという現象が「結果」なら、フラスコで覆うことが「原因」となる。ところが、因果示関係のモデルでは「結果」はふつう「従属変数」と呼ばれる。なぜわざわざそう呼ぶのか?それは「変数」ととらえた方が関係を正確に表現できるからである。社会科学では数値を伴う概念を「変数」と呼んでいる。年齢、教育水準、性別……すべて「変数」となりうる。この科学実験のように「結果」を「従属変数」と呼ぶのは、「結果」をあらわす変数の変化が「原因」を示す変数の変化に「従属」しているからである。さらに、フラスコという変数の「フラスコが有る」「フラスコが無い」という値の変化は、このモデルに関する限り、なんの影響も受けずに「独立」している。ゆえに「原因」は「独立変数」と呼べるのである。すなわち因果法則とは、独立変数の一定の値が従属変数の一定の値と関係している状態と定義できるのである。以上のことから導かれる「因果法則」に関する重要な原則は次の2点である。
 ①独立変数と従属変数との間には、時間的な順序がある(時間的順序)
 ②独立変数の値が変化すれば、従属変数の値も変化する(変数の共変)
 ただし、この2点は同時に他の重要な条件が変化しない前提を必要とする。フラスコの実験でたとえるなら、室の気圧、温度、外気の成分等、他の変数に重大な変化が起きてしまうと因果関係を結ぶことができない。すなわち、実験者はフラスコ以外の条件には変化が起こらないように工夫する必要が出てくる。これを「統制」と呼ぶ。「統制」は実際には大変難しい。第2章で話題とした戦意昂揚の映画「イギリスの闘い」を思い浮かべるとわかりやすい。あの実験におけるもっとも重要な問題は、新兵を積極的に戦争に向かわせるための意識の変容であった。このとき、新兵の態度が従属変数であり、独立変数は映画そのものであるが、第3の変数群が従属変数に影響を与えていないと考えるのは難しい。ここで第3の変数群として考えられるのは、新兵の教育水準、出身地、支持政党等が想定される。こうした第3の変数群が、新兵の態度の変化という従属変数に影響を与えていないという保証をどう得るのか。ことほどさように「統制」は困難なのである。
 こうした手法を実験群的方法(状況操作の方法)と呼ぶが、2つの観点から限界がある。一つは社会に関する重要な問題を実験的に研究することの是非という倫理的限界があり、もう一つは適用範囲の狭さ(小集団かつ現在の事象に限られる)という物理的限界である。