松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「キャリア焦燥感」の正体

dameshokuin.hatenablog.jp

過日こちらのブログで、「キャリア焦燥感」について言及されていました。
いわく、キャリア焦燥感とは、

「あなたのように向上心の高い20代の方が自分のキャリアに関して不安を覚え、何かしなければならないと考えることをそう言います」

とのこと。

私のキャリア焦燥感のピーク

この言葉を借りるならば、私のキャリア焦燥感のピークは2~3年前だったことと思います。
「このままではダメになる」と思っていましたし、本気で退職することを考えていました。
そのとき覚えていたのは、職場に対する不信感です。

「おいおいなんやこれ」
「おかしいやろ」
「こんなところでは働けん!」

みたいなことを思っていました。誰しも働いて5年もすれば、勤務先の「どう考えてもこれおかしいやろ」というようなところに気づいてしまいます。
そうしたことに非常にイラついていて、でも生活の糧を得るためには働かなければいけなくて、そんな狭間で非常に苦しんでいました。向上心が高いかどうかは別ですが。

キャリア焦燥感がなくなるとき

キャリア焦燥感というのは要は焦りだと思うのですが、最近ではまったくとは言えないものの、少しずつなくなってきた実感があります。
なんでなのかなあと考えてみたところ、次のようなことを感じ、思うようになったからじゃないかなあと自分ではとらえています。

「どんな職場も大体おかしいことはある」
「そのおかしいことに大した差もない」
「ということは、大事なのは自分だ」
「自分は、凡人である」
「自分は、ただの糞袋である」
「何か大きな成果をこれまで残したことがあるか?勉強も部活も中途半端な、所詮は凡人よ」

このようなことを思いながら、少しずつ「諦め」を覚えていきました。
するとあら不思議!
諦めたり、どうでもいいやと思っていると、わりと物事がうまく回り始めました。
そして、単なる凡人でありただの糞袋である自分は、誰よりも努力しなければならないと自覚するようになりました。

「キャリア焦燥感」の正体は、未来への期待なのでは?

以上つらつら考えてみると、「キャリア焦燥感」というのは結局、未来への期待なのではないでしょうか?
もう少しネガティブで乱暴な表現をすると、「自分はまだ何者かになれるかもしれない」という傲慢な思いが、キャリア焦燥感となって現れてしまうのではないでしょうか?
自分なんてしょせん凡人である。今まで何者でもなれなかった者が、これから何かをなしうるわけがない。
そうのようにリラックスして諦めると、未来への期待も失われます。
それで、なんか、そういう状態は、逆説的ですけど実はすごくイイんじゃないかと思うんですよね。
少なくとも私は、そういう状態になってから物事がうまく回り始めました。
たぶん、未来への期待を失ったと同時に、過去への後悔もなくなったからだと思います。
究極人生は「今」しかない。
凡人として「今」をどう燃焼させるか
というように、完全に「今」「現在」という時間軸に焦点があたり、目の前のことに集中できるようになったのだと思います。結果として、取り巻く環境が好転し始めました。

「キャリア焦燥感」からの脱却に不可欠だったこと

これはあくまでも私の場合ですが、特に他大学の友人との繋がりは大きかったです。
「友人」というのがポイントで、利害関係者じゃだめです。
他大学の友人から聞く、他大学の内部事情ほど面白いものはありません(笑)
彼らの話を聞いていると、自分の職場を相対化できるようになって、どのような職場であってもいいところも悪いところもあり、結局のところそうした周辺を気にしていても仕方がない、職場とか同僚とか周りの人とかそんなことはどうでもいい。
というより、自分でコントロールできないことを気にしても仕方がない。それよりも自分がどうあるか、何がしたくて、どうなりたいかが全てだと思えるようになりました。その結果の良し悪しも自分ではなく市場が評価するのだと割り切っています。
2009年に大学行政管理学会の会員になり、初めて行った定期総会の若手向けのワークショップで、当時の横田利久会長が次のようなことをおっしゃっていたことを覚えています。

自分の大学で言えないようなことを言い合える学外の仲間というのは、必ず財産になる

これは本当でした。5年越しにそのとおりだと実感できたことです。

最近の若い大学職員の方の中には、大学職員になりたくてなる方が増えています。これは、我々の世代にはたぶんなかったことです。
そういう人たちが辞めたり、病んだりしようとするときに、「ああ、ああいう凡人の糞袋でもあの程度のことまではできるんだな」と思ってもらえるよう、実名ブログをやったり大学院に行ったりしながら、今にベストを尽くしたいところです。