松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

久松達央著『小さくて強い農業をつくる』(昌文社)を読了

標記の本を読了しました。慶応を卒業し、帝人に入社するも28歳のときにやめ、農業を始めた方の本です。
木下斉さんがTwitterでオススメされていたので買いました。
冒頭に、

はじめに断っておきますが、この本には、「農業経営のコツ」や「有機栽培のポイント」のような正解は何一つ書いてありません。(中略)小さな具体例を積み重ねることで、「正解」の輪郭を浮かび上がらせることはできるかもしれない。そんな風に考えました。

とあるように、農業そのものというよりも、農業を通して身に付けた考え方や発想、実際にもがいてきた経験、そういったものを伝えていると感じました。

印象に残った箇所をいくつか。
赤字は全て私です。

逃げグセの固定化

もちろん、資質の違いもありますが、真っ直ぐに対象と向き合えるかどうかは、むしろ習慣の問題だと僕は思っています。逃げることは、知らないうちにクセになります。そして怖いことに、若いうちの逃げグセは固定化します。「自分はこんなもんだ」「これ以上はできない」と、潜在的な能力よりもはるかに低いところに自分で天井をつくってしまうのです。

帝人で覚えた違和感

 会社生活で違和感を覚えたのは、ビジネスマンとしての評価が、学歴や語学力などの分かりやすい尺度で決まりやすいこと。僕は、たまたま英語がちょっと得意で、名の通った大学の出身だったので、何でもそれに結びつけられてしまいました。皮肉を込めて「学校を褒められても嬉しくないから、目の前の僕を褒めて下さい」と、言ったこともあります。
 その一方で能力が高くても、コミュニケーションが不得手で、分かりやすい看板のない人は目立ちにくいことも見えてきます。自分にはあまり価値を見出せない「学歴」や「語学力」とう看板が、その人の実際の評価として定着していくのは少し怖くもありました。若かった僕には、「無意味な下駄を履かされない世界で正当に評価されたい」という気持ちもありました。
 会社の図体のデカさから来る、動きの遅さも気になりました。間接部門は肥大し、いわゆる大企業病が蔓延していました。皆どこか他人事のような立場で物を言っているし、やる気のないオジサンはたくさんいるし、議事録もとらずに延々と会議をやっているし。大きな組織というのは、組織を組織たらしめておくことにひどくコストがかかるものだなぁと思ったものです。
 実際、大人数で情報や思いを共有することは簡単ではありません。スピード感が求められる時代には、大きな組織ではなく、自立した個人のゆるやかなネットワークが重要なのではないか、と考えるようになりました。

農業に進むと決めた時の同僚の反応

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一方で、会社の花形部門にいるような人たちは、賛成はしてくれませんでした。大きい会社で未来が約束されているのに、なぜそんな無謀な道を歩むのか?「お前は英語もできて、出世が見込めるのにもったいない」という意見には驚きました。こいつらは28歳で、もう会社にしがみついて生きていくつもりなのか、と。
 その頃の僕は、全力で打ち込める何かを探していました。逆に言えば、会社の仕事は、人生を賭けるに値しないと感じていたということ。自分の人生はまだ始まってすらいない、という意識でした。それに対して、5年目で既に、会社の中でいかに上手いことやっていくかを考えている人もいるのか、というショックがありました。