松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

教職課程認定申請の仕事に携わってよかった5つのこと―それでも、しんどいこともある―

2012年6月から2年と半年、ひたすら教職課程認定申請の仕事に携わってきて、よかったなあと思う5つのことを書き記しておきたいと思います。
よかったなあと思うことは、以下の5つです。
①教員と仲良くなる
②知らない分野に関心が湧く
③自分の市場価値が高まる
④本質を見極める癖がつく
⑤学内で完結する仕事をメタ認知できる

①教員と仲良くなる

先生方と仲良くなれます。
端的に言うと、こうした申請業務というのは教員の専門分野ではないので、頼ってもらえるからです。
「どうしたらいいのだろう」という問いに対し、「背景にはこういうことがありますから、こうしたらどうでしょう」とか、「このようにすると実際に課程が始まった時にしんどいので、学生の選択の幅は広く残しておいた方がいいでしょう」なんてことを答えつつ、一緒に物事を成し遂げていく。その過程で仲良くなることができます。
特に新しい学部を作ろうとするときには、教員のモチベーションも非常に高いです。だから楽しいです。
さらに、新学部の先生の中には、まだ着任されていない先生もいらっしゃいます。
そういう先生といち早く仲良くなって、実際スタートしたときに「あの時はありがとうございました」と言い合うのも、戦友感があって楽しいです。
着任予定の先生といち早く仲良くなっておけるというのは、教職の申請に限らず、新学部設置に関わる職員の特権ではないかと思っています。

②知らない分野に関心が湧く

私の場合、平成25年度の申請では社会と公民を、平成26年度の申請では英語と福祉を通すことになりました。
その仕事の中で、教員の業績書をたくさん見ることになります。
私は履歴・業績といった個人調書の修正に対して、単に書類の修正として見るのではなくて、概要の中身まで関心を持ちながら臨んでいました。
なので、平成25年度の申請では、主に社会学の分野のことを浅く知ることができました。
社会学の中には、家族のことや労働のこと、社会階層のことや社会福祉のこと、そういう色々なジャンルがあって、それぞれに面白いなあという感想を抱きました。
もう1度大学に入るなら、社会学をやってみたいなあと思ったほどです。
同様にして、平成26年度の申請では、英語を中心とする言語学や、福祉や介護の現場のことに関心を持つことができました。
①にも繋がるのですが、このように教員の専門性を薄くでもいいから知っておくと、お会いした時により詳しいお話を伺うことができます。
「先生の専門分野って●●だと思うんですが、ここではどのような最新の論点になっているのですか?」みたいに聞けば、とても嬉しそうに話してくださいます。

③自分の市場価値が高まる

これは自分が勝手に思っているだけかもしれませんが、労働市場における価値が一気に高まった気がします。
先輩方に高めてもらった、引っ張り上げてもらった、という言い方もできるかもしれません。色々と発表の機会をいただいたのは他大学の先輩方のおかげですし、そういうアピールの場があってのことです。
私自身は、この仕事がそんなに難しいものだとは思いません。でもやっぱり、うまくいかないケースもあるし、教職課程の認定は厳しくなっていますよ、というのがよくある現在の見方です。
そうした中、教職課程の申請は結果が1or0でわかりやすく出ますので、結果を出した、さらにアピールの機会をいただいた時に、自信がなくても迷いなくお受けする、こういう行動によって、少なくとも教職課程の分野では相応に市場価値を高めることができたと感じています。
でもまあ、申請を通している人なんてたくさんいますので、私の場合は結果を出したこと自体よりも、人前でプレゼンすることがそんなに苦手ではない、自信がなくても遠慮したりすることはない、そういった性格の部分が価値の上昇に寄与している気もします。
教職課程の申請というかなり限定された分野であったとしても、市場価値を高めることができれば、そこに軸を置いて他のこともどんどんできるようになるという実感を持っています。

④本質を見極める癖がつく

教職課程の申請の仕事は、非常に作業が多いです。
したがって、なんでもかんでも丁寧にやっていたら絶対に終わりません。
最悪なのが、「期日に間に合わず提出できない」ということです。
認定を受けるための最低ラインは、当然のことながら期日までに提出するということです。
その次に、認定を受けるような書類を作るために、課程認定基準を満たすためのカリキュラムを教員と協働して組むということが必要です。
さらにその次に、課程認定基準を満たすだけではなくて、その学部学科の特徴や良さをカリキュラムや体制の観点からどう出していくか、というプラスアルファを考えることになります。
大体このあたりを抑えていれば、書式の細かいミスなどどうでもいいことです。
ミスはないにこしたことはないですが、書式の細かいことが気になってこれらのことを考えられないのであれば、それは本末転倒です。
そして、書式のミスが全くない、というのは実質ほぼ不可能です。
内容がしっかりしている申請書は、書式のミスも少ないと思われますが、それでも0にするのは無理ですというのが私の実感です。
私も2年目のチャレンジとして、書式のミスは0にして文科省の担当官の仕事をなくしてやろうということにトライしたのですが、自分でも思いもよらぬところが抜けたり間違ったりしていました。
申請書は論文ではありませんので、書式のミスを気にし続けるよりも、前述のような本質的なところに注力した方がペースの配分としては賢いです。
このように、何が大事で何が大事でないか、見極める時点で結構勝負が決まったりしますし、そうしなければ目標を達成できないという圧迫感から、いかに本質を射抜くかを考える癖がつきました。

⑤学内で完結する仕事をメタ認知できる

教職課程の申請の仕事は、文科省の担当官や中教審の委員とのある種の交渉によって進んでいきます。
事前相談では、私のような担当者の実力を見定めて、安心して申請書の提出を受け付けられる大学かどうかを値踏みされていると思われます。
少し考えればわかることですが、文科省の免許係の人員数で、100を越える大学の申請を細かく細かくチェックしていくことは、これまた不可能です。
だから、厳しく見る必要のある大学とそうでない大学を分類しているだろうと想像しています。
(これは別に確認をとったわけではなくて、逆の立場だったらそうするなあという個人的想像です)
このように、この仕事は学外の市場で質の良し悪しが決まります。
このとき、「自分は頑張ったのに」「前はこうだった」ということは全く考慮されなくて、今どういう質を伴っているかだけが問われます。
よくよく考えてみると、自分がそれまでしてきた仕事というのは、そのほとんどが学内で完結するものでした。
学外との折衝が必要であったとしても、発注側がこちらであったりして、自分が強者の立場であったことがほとんどです。
でも、この仕事はむしろ逆で、こちらの立場としてはフラットか、やや弱い(認定をもらう側なので)ということになります。
こういう仕事に従事すると、学内で完結する仕事の方は「最終的にはどうにでもなる」と達観して見られるようになります。
教職の申請の仕事のように、「自分が失敗したらもうどうにもならない」ということと比べて、環境としてはとても楽です。
だから、「最終的にはどうにでもなる」「何かあったら謝ればいいや」という気持ちで、楽に考えることができますし、メタな視点で見れば、学内でさも重要とされている話題が、市場ではさほど重要でない(自分たちが重要だと思っているだけ…)ことに気づけたりします。

それでも、しんどいこともある

いいことばかり挙げてきましたが、それでも、しんどいこともあります。
去年の2回目の事前相談に行った時は、往路の新幹線のトイレの中で、プレッシャーのあまり吐いたこともあります。
他大学の方の中には、この仕事をして、体調を壊したと仰っていた方もいました。
結果が1or0で出る仕事というのは、わかりやすい反面つらい部分もあります。結果が全てだからです。
また、本質的なところがわかっていれば、あとは単に作業量が多いだけなのだから、アシスタントを雇えればもっと楽なのになあと思ったこともあります。
市場価値が高まるという良さはあるものの、精神面と体力面の二重のプレッシャーが自分を蝕んでいるなあと感じることも多いです。
免許法や課程認定基準、文教政策の動向やカリキュラム・マネジメント、そういうことは誰よりも学ぶから、せめて誰でもできる作業はアシスタントにやって欲しいというのが本音です。
深夜にワードやエクセルを孤独に整える作業はつらい。
今年は異動してから初めて申請のない中ゆったりしようと思っていたのですが、やはり3月末に申請をすることになって、今はなんとか英気を蓄えたいと考えています。
未来の学生を迎えるために、現在いる学生のために使う時間を削らなければならなくなるのも辛いです。
大げさかもしれませんが、しんどいことも結構あるのです。