松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

教職課程の学生同士の学び合いに向けた試み(7)まとめ―結局、大学職員として何をしているのか?―

教職課程の学生同士の学び合いに向けた試み(1)問題意識 - 松宮慎治の憂鬱

教職課程の学生同士の学び合いに向けた試み(2)問題意識② - 松宮慎治の憂鬱

教職課程の学生同士の学び合いに向けた試み(3)目的 - 松宮慎治の憂鬱

教職課程の学生同士の学び合いに向けた試み(4)方法 - 松宮慎治の憂鬱

教職課程の学生同士の学び合いに向けた試み(5)方法② - 松宮慎治の憂鬱

教職課程の学生同士の学び合いに向けた試み(6)途中経過 - 松宮慎治の憂鬱

他大学の職員の方に向けて書き始めたこの記事も、今回でラストにしようと思います。結局のところ、自分は大学職員としていったい何をしているのか、ということを考えてみました。前提として、この取組みは、思いを同じくする教職課程の先生の助け(たくさんの現役の教員を呼んでいただきました)と、同僚の理解(基本的にやりたいようにやらせてくれます)があって成り立つものです。以下はあくまでもその上で、の話です。

結局のところ私が何をしてるのかといえば、3つだけです。①学生を煽ること②活動の現場に時々一緒にいること③中長期計画の中に施策として取り入れていること、この3つのみです。たったこの3つだけで、学生は自ら色々なことをやり始めます。これが、教職課程の履修学生が元々真面目で熱心だから言えることなのか、学生は一般的にそうなのか、という判断は難しいところです。以前の部署で、同様に学生を巻き込んだ取組みをしたときは、うまくいきませんでした。しかし、あれは自分のやり方が下手くそだったと振り返って思います。24,5の時にできなかったことが、27,8になってようやくできるようになってきたのかもしれません。

 

①学生を煽ること

「煽る」というと表現がよくないかもしれないですが、要するにけしかける、エンパワメントするということです。これには3つほど、自分なりの方法を確立しています。まず、「こういうことをやってみないか?」とけしかけること、それから「ぼくはこういうことをやってみたいのだが、一緒にやらないか」と自分を主語にして誘うこと、最後に、学生がやりたいと言ってきたことに対し、一切否定的なことを言わず、頑張って「うん」と言うこと。

こういう所作で過ごしていると、学生たちは勝手に動き始めてくれました。特に3つめ、頑張って「うん」と言うことが一番大事かもしれません。要するに、アラが見えててもそのことをドヤ顔で指摘したりせず、「とてもいいことだ。どんどんやったらいい」と伝えるということです。学生の表現することを全てそのまま受け止めて、かつ上手に承認するというのは、口で言うほど簡単ではないということを実感しています。

②活動の現場に時々いること

ミーティングや勉強会の場に、時々顔を出しています。何かを発言したり、提案したりすることは基本的にありません。写真を撮ってホームページに活動の報告をアップする程度です。時々、「こういうことやってみない?」と言うことはあるのですが、最近では学生たちは自ら頑張ってくれますので、そんなに何かを促すこともありません。

しかし、それでも、いるのといないのとでは違うだろうと考えています。別に何をするわけでもなく、ただそこにいるというだけでも、信頼関係を築く上では重要なはずだと個人的には思っています。まあ、私はそう思っていますが、それに対する評価は学生に委ねられるとは思います。

③中長期計画の中に施策として取り入れていること

教職課程の施策として14~5個ほどを、中長期計画に示しています。そのうちの一つとして、この教職課程の学生同士の学び合いというのも位置づけています。したがって、教員組織も職員組織も了解の上で事業としてやっていると。少なくとも形式上はそうなっているという状態にしています。このことによって、予算の要求がしやすくなる等、必要なことを必要な時に実行できる状態を整えています。

施策の一つとして位置付けると、毎年の評価や、PDCAのそれぞれについて記載する必要が出てきます。そのことを面倒がらず、大切なことと考えて、愚直にやっています。

 

この取組みのまとめとしては、こんなところでしょうか。あくまでも途中経過なので、今後どうなるかはわかりません。私自身が、学生に期待をして、一番楽しみにしています。