松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

究極の民間人 坂爪圭吾

「坂爪圭吾を囲んで弄る会@神戸」に参加しました。

坂爪圭吾さんというのは、一言でいうと家のない生活をしている方です。

ブログやツイッターを拝見していただけなのですが、実際にお会いできる機会をいただいて、抱いた感想は2つです。

1つは、非常に聡明な方であるということと、もう1つは究極の民間人だなということです。何しろ家がないので。

あとは、同い年だったので、ふつうに友達になりたいなと思いました。

 

大学で働いていると、「そんなことでは民間ではやっていけない」「民間はどうしているのか?」等のように、<民間>というキーワードが出てくることがあります。

こういうときの<民間>というのは、いわゆる株式会社等の企業を指していると思うのですが、なんとなくこの括りの大きさに違和感を覚えていました。

企業といっても多様ですしね。大学も同じように多様であることは、大学で働いていて強く感じます。

そうした多様性を<民間>という大きなキーワードで括ることは難しい気がしていました。

たいていの場合、言葉の裏で想定されているのが歴史のある大企業であったりして(少なくとも、立ち上げたばかりのベンチャーではないような)、そうなってくると、良くも悪くも文化やありように大きな差はないんじゃないのかなあと思ったり。

企業も多様、大学も多様、そうした前提に立てば<民間>というような大きな括りは、逆に大学との壁を形づくっているような気もします。

多様性をキーにすれば、もはや大学も企業もないのであって、そうした価値観を土台として、いわゆる<民間>との協働もなんのハードルもなくできるようになると考えています。

しかしながら、私は新卒以来大学でしか働いていませんので、君には民間企業の経験がないじゃないかと言われれば、それはそれで苦しい部分もあります。

したがって、このように組織から離れてちょっと変なことをしている人とどんどん接することで、そこの弱点を補いたいという気持ちもありました。

組織から離れて個人として世の中にイノベーションを起こそうとする人は、組織の下で働いている人とは少し気の持ちようが違います。

家のない人というのは究極の民間人なので、私は坂爪さんとお話できたことによって、<民間>の極限と触れえたのではないかと考えています。

また、やはり私の仕事は学生の可能性を伸ばすことにあると思っているので、色々な生き方や価値観に触れておくこと、そうやって引き出しを増やしておくことで、ある画一的なありようを学生に押しつけてしまわないようにトレーニングしたかった、という側面もあります。

まあでもやっぱり、そういう職業人としてどうか、というところは別にして、ふつうに友達になりたい気がした、というのが一番素直な気持ちかもしれません。

 

以下に坂爪さんのブログを掲載します。

いくつか「お、いいな」と思った言葉を載せておきます。

・「「私、EXILEのATSUSHIと友達なんだよね」という人がクソに見えるのは、まるでATSUSHIを所有(独占)しているつもりになっているように見えるからだ。逆に、ATSUSHIの魅力をひとりでも多くの人に伝えようとしている人に宿る魅力は、共有の魅力だ。価値を誰かにも伝えたいと思っている人には魅力が宿り、価値を所有したつもりになっている人には嫌悪感が宿る。私はHAPPYを共有したい。結論。所有アピールはNGで共有はOK!!」

・「①怒られないように考えるのではなく、怒られてから考えよう。②優等生的な態度を改めること。良い子のマニュアルは破り捨てること。③損得勘定で考えない。やりたいかやりたくないかで考える。」

・「「俺は言う人、お前はやる人」みたいな態度ってどうなんだろうと思う。他人を批判することにエネルギーを注ぐよりも、自分の人生を充実させる(自分が行きたいと思う未来の根拠に自分自身がなる)ことにエネルギーを注いだ方が、圧倒的に有意義で生き様としても単純に格好良いと思う。」


いばや通信