松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

吉村昭(1975)『高熱隧道』(新潮文庫)を読了

標記の本を読了した。
昭和11年着工のトンネル工事(超高温のトンネル内,現場を襲う雪崩)のお話。

高熱隧道 (新潮文庫)

高熱隧道 (新潮文庫)

フレデリック・ラルー(嘉村賢州、鈴木立哉訳)(2018)『ティール組織:マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』(英治出版)を読了

標記の本を読了した。
本稿の要諦は,組織モデルの発達段階として,

①衝動型(レッド):恐怖による支配
②順応型(アンバー):官僚制
③達成型(オレンジ):実力主義
④多元型(グリーン):ミュニティ
⑤進化型(ティール):生命体型組織

の5つを示し,最後の⑤がどのようなものか開設したところにある。
⑤は,自主経営(セルフ・マネジメント),全体性(ホールネス),存在目的といったキーワードで表現される。

進化型 組織では、役職と職務内容は社員がそれぞれ担っている役割の組み合わせを正しく表していない。固定的な名称では組織内で流動的に変化していく職務内容を説明しきれないからだ。社員たちは、仕事の負荷と自分の好みに従って役割を頻繁に取り換えたり取引したりする。たとえば、ビュートゾルフの看護師は、担当する患者に特別なケアが突然必要になると、チーム・プランナーの役割をだれかに代わってもらう。すると、しばらくの間はほかの看護師がチームのために普段の管理作業以上の仕事を背負うが、ほかの機会に仕事の負荷を減らす。事前に決まった仕事ではなく、こまごました役割について考えることで、組織には大きな柔軟性と適応性が生まれるのだ。人々は、任命、昇進、給与交渉といった面倒で往々にして政治的なプロセスを経る必要もなく、一つの役割から別の役割に移ることができる。

重要なのは,この発達段階はリニアに進行するというより,入り混じるとされている点だろう。

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

アルン・スンドララジャン(門脇弘典訳)(2016)『シェアリング・エコノミー』(日経BP社)を読了

標記の本を読了した。
本書が描く「シェアリング・エコノミー」的未来は,次のような状態を指す。

1 おおむね市場に基づく──財の交換が行なわれ新しいサービスが生まれる市場が形成され、より潜在力の高い経済活動が実現する。
2 資本の影響力が大きい──資産やスキル、時間、金銭など、あらゆるものが最大限活用される新しい機会が生まれる。
3 中央集権的組織や「ヒエラルキー」よりも大衆の「ネットワーク」が力を持つ──資本と労働力を供給するのは、企業や政府ではなく分散化された個人となる。ゆくゆくは取引を仲介するのも、中央集権的な第三者ではなくクラウドベースの分散型市場となる可能性がある。
4 パーソナルとプロフェッショナルの線引きが曖昧──車での送迎や金銭の貸し借りといった、従来「私的」とされてきた個人間の行為が労働とサービスの供給源となり、しばしば商業化・大規模化する。 5 フルタイム労働と臨時労働、自営と雇用、仕事と余暇の線引きが曖昧──伝統的にフルタイムとなっている仕事の多くは、案件ごとに拘束時間や稼働率、従属度、独自性のレベルが異なる請負仕事に取って代わられる。

2年前の本であるので,この一部は既にかなり進行しつつある。
自分自身の生活の中にも,かなり入りこんできたという実感を添えながら読んだ。

シェアリングエコノミー

シェアリングエコノミー

菊澤研宗(2011)『改革の不条理:日本の組織ではなぜ改悪がはびこるのか』(朝日文庫)を読了

標記の本を読了した。
あなたもなぜ,「この組織では,このようなバカな(’不合理な)ことが行われるだろう?」と思うことがあるだろう。
本書は,むしろ実はそれは個人が合理的に行動した結果であることを,新制度派経済学の側面から描くものである。
筆者が挙げる不条理は,以下の3つである。

①「全体(社会)合理性」と「個別(私的)合理性」の不一致によって起こる不条理……たとえば、個人(あるいは組織)が全体(社会)合理性を捨てて個別合理性を追求し、結果的に失敗する。  
②「効率性」と「正当性(倫理性)」の不一致によって起こる不条理……たとえば、個人(あるいは組織)が正当性を捨て効率性を追求し、結果的に失敗する。逆に、効率性を捨て正当性を追求し、結果的に失敗する場合もある。
③「長期的帰結(利益)」と「短期的帰結(利益)」の不一致によって起こる不条理……たとえば、個人(あるいは組織)が長期的帰結を捨て短期的帰結を追求し、結果的に失敗する。

こうした不条理について具体例を交えながら,わかりやすく解説する。
たとえば,信望の厚い社長は社員を説得する取引コストが高すぎるので,結果的に改革を行えないこと等はわかりやすいし,大学や教育にまつわる例示もある。
本書の特徴は,わかりやすさに加えて,処方箋が記されていることにある。
すなわち,

これまでたくさんの事例を見てきたが、ある意味で、改革とは「空気に水をさす」行為にほかならない。空気とは、組織内の取引コストを考慮しながら損得計算し、社会的には不正であり非効率的であるが、所属する組織が損をしないように振る舞う人間たちによって生み出される集団的なやましき沈黙である。 そして、改革者はこの「空気に水をさす人物」でなくてはならない。

というのである。
そして組織としては,以下のようである必要があると明言する。

予防的に改革の不条理を回避するために重要なのは、「組織のリーダーやメンバーたちが自分たちの限定合理性を認識し、批判的議論を展開し、絶えず組織を改善し、絶えず戦略を変更し、絶えず流れているような組織を形成する」ことである。そうすれば、そもそも大改革など必要ないのだ。 もし組織のメンバーが傲慢にも自分たちが限定合理的であることを忘れてしまうと、批判を拒絶する「閉ざされた(傲慢)組織」が形成される。そして、流れはよどむことになる。 するとしだいに、非効率・不正が時間の経過とともに徐々に蓄積され、大きくなる。そして、その非効率や不正が無視できないほど大きく、深刻になったとき、組織は大改革に迫られる。しかし、このとき大改革を行うには膨大な改革コストが発生する。このコストの存在を考えると、人間は他律的に不正や非効率的な現状に留まることが合理的だという「改革の不条理」に陥ることになる。さらに、不正や非効率の存在を隠すために変革するという「改悪の不条理」に陥ることもある。

フローが途切れない組織とは、「批判的議論が常に行われている組織」のことである。フローであり続けるとは、「仮説的で暫定的な組織行動」と「実在世界」との乖離を絶えず縮小しようとすることであり、それは批判的議論によって達成されることになる。 批判的議論とは、先に述べたように「どこまでが正しくどこまでが正しくないのか」を確定する人間の実践理性的な活動である。哲学者のポパー(K.R.Popper)的にいえば、批判的というのは合理性的(つまりカント的実践理性に合う)と同意である。それゆえ、彼は自分の立場を「批判的合理主義」と呼んだ。

以上のことを読者なりに解釈すれば,開放的で,批判的で,小さな改善を積み重ねることが重要であり,他律的であることよりも自律的であることが重要,ということになろうか。
新制度派経済学は理論的には難解であるが,その難しさをかみ砕いて,誰にでもわかるように書いてくださった,おすすめの書である。
制度論はこのように制度の視点から,問題そのものが構造的に生まれている(そしてそのことを前提としてアプローチする)という価値観を底にもっていて,自分の好みに合う考え方である。

「まずは本務を」論の難しさ

以下の記事を拝読した。
photon28.hatenadiary.jp
この手の話題は半ば食傷気味でもあるのだが,いい機会なので自分の考えをまとめておきたい。

「本務ができている状態」は明確に定義できない

上記の記事は非常に示唆的で,本文中に答えめいたものがある。
具体的には,

本務がきちんとこなせているなら各個人が好きにすればいい話で、他者からとやかく言われる話ではないと思っているのだが、とにかく何かやっている人を叩く場面をよく見かける。

という一方で,

①成果が見えにくく ②学んだり研究したり、発信した内容を実践の中でどう活かすかがわかりにくいために、研究や情報発信をすることが良くないこととして受け止められやすい

というのである。
すなわち,「本務がきちんとこなせているなら各個人が好きにすればいい話」であるのだが,その半面,実は「きちんとこなせている」状態は見えにくいということになる。
仮にそうだとしたときに,「きちんとこなせている」状態の評価は正確にできないので,研究や情報発信をしたい人は,原理的にはいつまでもスタートラインに立てないことになる。

「仕事ができる」「できない」はイメージの問題

ことほどさように,「仕事ができる」「できない」論ほど信用できないものはなく,それらは基本的に他者のイメージによって構成される。
実際のその仕事ができるか,できないかは正確に推定できないので,「できると思われている」ことが重要になる。
「できると思われている」状態を形作るコツには,
(1)教員から信頼されている
(2)学生から信頼されている
(3)学内の実力者から評価されている
(4)学外のマーケットで評価されている
といったものがある。
上記のようなコツをクリアされてなお,「あいつは仕事ができない」とはかなり言いにくい。
ただの嫉妬になってしまうからである。

ダメな人はいます!それでも……

はっきり言うと,(自分のことは棚に上げさせてもらうが)自分のように大学院に行って研究とかをしつつ,仕事が全然ダメな人はいると思う。
ていうか,いる。たとえ職場が一緒でなくても,仕事なり,プロジェクトなりを一緒にやってみれば,実はすぐにわかる。
ただ,そういう人は研究もできない,ないし事実上していない。だから,なんにせよ,いろんな角度から,わかる。
情報発信でも同じ。しょせんは人間の体は一つなので,多少の得意不得意はあるにせよ,何事もクオリティはおおむね均質になるというのが自身の見立てである。。
しかし!それでもなお,「まずは本務を」のような圧力はかけない方が良いと考えている。
なぜなら,そのような圧力があることによって,繊細な人は気にして,遠慮するからである。
空気による圧力の結果,優秀な人ほどたくさんの(ネガティブなことも含めた)情報を収集し,前向きな行動をとらず,逆に優秀でない人ほど情報を集めないので前向きな行動をとる,というおかしな場が生まれてしまう。
こういう問題を,「逆選択」と呼んだりする。
www.sbbit.jp
よって,そりゃあダメな人も混じるかもしれないけど,それは業界が引き受けるコストであると割り切って,変な圧力をかけずに,したいことを応援してあげる支援的な雰囲気が大事なんではないかと思うわけである。

【ネタばれなし】吉村昭(1989)『漂流』(新潮文庫)を読了

標記の本を読了した。
江戸時代の漁師が難破し,10年以上を無人島で過ごすお話。
日本版のロビンソン・クルーソーとも呼ぶべき鬼気迫る作品。
おそらく,実話にもとづくフィクション。

漂流 (新潮文庫)

漂流 (新潮文庫)

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