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松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'15広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。Twitter : sanjyuumatsu,e-mail : sanjyuumatsu@gmail.com

浅田次郎著『黒書院の六兵衛(上)(下)』(文春文庫)

読書(小説)

標記の本を読了した。
江戸から明治に時代が遷移するときの江戸城無血開城の際,ただひらすら居座り続けた旗本がいたという話。
読了したあとになって,後ろの方に江戸城内の見取り図がついていたことに気づいて残念。

英語を読むときのコツに関する自己暗示

私論

ぼくは昔から英語が苦手である。
もう少し正確にいえば,英語を勉強することが苦手で,この結果として英語が苦手になっている。
言語なんて時間をかければ誰でも一定レベルまでは上達するわけで,自分はそれだけの時間をかけるという労力を節約してきた。
実は大学受験までの勉強では,さして英語がわかっていなくてもなんとかなったりする。
センター試験なんかも,ぼくのときですら裏技的問題集が出ていたりして,そのとおりやれば点数がとれたりした。
小手先でちょこちょこっとやって,それで済ませる。今思えばなんて愚かなことをしたのかと思っている。
そういう反省がある中,最近は本当に苦労している。
とりあえず英語が全然読めない。時間がかかる。いわんや英語論文をや。
しかし,時間をかけるしかないのはわかっているので,できない自分を嘆きながらなんとかやるしかない。

そうしたときに,どんな文章が読めるのだろう?と楽しみにするメンタルを持つと,なんとなく続くような気がしている。
具体的には,読み始める前に,「楽しみだなー」と心の中で思ったり,読み進める中で,「何が書いてあるんだろう?」とワクワクしたりするのである。
本当はこれは,無理やりそう持って行っているだけの話で,心から思えているわけではないのだが。
そうでもしないと,全く読めない。
また,苦手意識もあるけど,要するに普段の仕事や生活の中で英文を読む必要性がないので,勉強できないのだな,という気持ちもある。
「研究に必要」というので頑張らないといけないけど,時間の使う場所はやはり仕事が大きいし,その次に生活は生きていくためにしないといけないし,どうしてもその2つに勝つことは難しい。
なんだかんだいって上達するには,「生活に必要」「仕事に必要」のどちらかで,今の自分にはそのどちらもない。
なんとかして,生活か仕事のどちらかに英語を組み込みたい。
そういう意味では,自分の場合は留学生とかかわる部門で働けば,できるようになるのかもしれない(全く考えたこともないけど)。
あるいは,よく言われることだが英語圏の人と仲良くなるか(いろいろな意味で)。
もしくは,最近忙しくてできていなかったのだけれど,昼休みは必ず図書館で英語論文を読む,電車の行きかえりはトイックの勉強,というように,生活の中に割り当ててしまうか。
これは結構疲れるのだが,ある一定のレベルになるまで(楽しくなるまで)は我慢するしかないのだろうか。

筒井淳也・水落正明・保田時男編『パネルデータの調査と分析・入門』(ナカニシヤ出版)を読了

統計学

標記の本を読了した。以下にお邪魔するにあたって,ほとんど勉強せずというのも恐縮だったからである。
shinnji28.hatenablog.com
本書の構成は,まずパネル調査とは何か,その現状と概要を説明した上で,実際の分析の説明に入る前に,回帰分析の解説とその限界が指摘される。
具体的には,回帰分析ではバイアスの問題に十分対応できないということが示されている。
なんとならば,バイアスの多くは個体特性に起因するのに,変化しうる属性(たとえば,個人の能力や体力)は観察できないからである。
p.39に,

パネルデータの強みを活かせる分析とは,基本的に変化する変数で変化する変数を説明するものである。

とあるが,この記述もわかりやすい。例として「夫婦の労働時間の変化が家事分担に及ぼす影響」が挙げられている。
こうした原理・原則を踏まえて,具体的な分析手順が基礎編→応用編で示されてゆく。
加えて,パネルデータ固有の問題である,サンプルの脱落についても説明されている。
最後に,具体的な分析事例が7つ掲載されている(論文体で)。
なかなか一発で理解するのは困難で,何回も読み直す必要性を感じているが,素人でもよくわかる内容であった。

パネルデータの調査と分析・入門

パネルデータの調査と分析・入門

寺﨑昌男,立教学院職員研究会編著『21世紀の大学:職員の希望とリテラシー』(東信堂)を読了

読書(大学)

標記の本を読了した。
こちらは,立教学院の職員の自主勉強会において寺﨑先生がされた講話集録を中心として,後半には参加者のエッセイが掲載されたものである。
立教さんの内部で自主勉強会を継続されていたことは個人的に知っていたし,現在共通教育の新カリキュラム検討にもかかわっているので,自身の今おかれた立場も含めて,大変勉強になった。
寺﨑先生は,職員のリテラシーとして次の3つを示されている(p.10)。

 一つ目は「大学とは(または大学という職場は)何を特質とする場なのか」、
 二つ目は「自分の勤務する大学のことをよく知っているか」、
 三つ目は「大学政策はどう動いているか」、

なるほど,このように整理いただけると,「たしかにそうだな」と腹落ちする。
ぼくは同時に,これを考える順番も大事ではないかと思う。
修得という点では,単純に①→②→③のように線形にはいかなくて,ウロウロするのだろうけれど,
初めて大学職員として勤務したときに触れる順番は,②→①→③が良いのではないかと考える。
まず自分の職場を知り,その職場がどういう枠に位置づけられているのかを理論→政策の順で知るということだ。
特に重要なのは,本当に②を知っているのかということと,①の知識で,
大抵の人は,
・②すらあまり知らない
・②で留まる
・②から③に行き,政策に追随する
といったパターンになっている気がする。

②については,働いているからとか,卒業生であるからといった理由だけで,その大学のことをよく知った気分になってしまうという罠がある。
それは本当に知っていることになるのかということである。
①については,これを知ることで自分の大学のことが相対化でき,②が深まるということになる。
その意味で,②というのは本質的に①と不可分である。
③は最後だと思う。
誤解を恐れずにいれば,政策答申を読んでいるだけで,よく勉強しているみたいになるのが大学職員あるあるである。それはマズい。

最後に,本書でもっとも印象的であった箇所を引用しておきたい(p.37)。

大学は企業秘密のない世界です。なぜ企業秘密がないか分かりますか?それは大学がいいアイデアを共有すればするほど、つまり秘密が秘密でなくなればなくなるほど、学生たちの福利が増大するからです。つまり学生たちが得をするからなのです。

21世紀の大学:職員の希望とリテラシー

21世紀の大学:職員の希望とリテラシー

久々に思い出す,ガラケーの問い合わせ機能について

生活

今でこそ電波の良し悪しは問題にならないが,かつてはそうではなかった。
電車がトンネル等に入ると簡単に電波がなくなってしまっていた。
キャンプ等に行くと,むしろ電波がないことが当然であった。
そういった環境において活躍したのが,ガラケーにおける「問い合わせ機能」である。
つい先日,何の脈絡もなくこの機能のことを思い出していた。
「問い合わせ機能」を使うと,溜まっていたメールが一挙に届くのである。
自身の通っていた大学は山奥にあったので,しょっちゅうこの機能にお世話になっていた。
よく考えれば,Wi-Fiというのもなかなかすごいものだ。要するに,街角に電波塔ができるようなものである。
「問い合わせ機能」を使っていた頃は,電波の供給が少なかったが,今となっては受給バランスが逆転してしまった。
何しろ,Wi-Fiは自分でも持ち歩けるので。

ほんの10年程で世の中はずいぶん変わったものだなと思う。
10~15年前のNTTドコモauソフトバンクは,争うようにガラケーの新機種を出し,そのこと自体が話題をさらっていた。
しかし今となっては,主役はハードではなくソフトになったので,入れ物はよりシンプルで機能的,かつスタイリッシュであることが良しとされるようになった。
この変化を大学に援用すると,建物やキャンパスはできるだけシンプルなものがよくて,中身を自由に配置・出し入れできるようになっていることが望ましいということになる。
大学というのは元々そういうもの,つまりハードではなくソフトからできているので,この変化の波はあまり受けていないような気がするが,
一方で設備活性化事業等でアクティブ・ラーニングの部屋を作るための税金が投入されるなど,ハード面での資源を投じすぎではないかという思いもある。
おそらく,ハード→ソフトの移行は止まらないので,時代が変わっても使えそうな入れ物としてのシンプルなハードが,箱として用意されていた方がよいのではないかと感じる。
可動式の机・椅子はともかく(すぐに撤去できるし,入れ替えられるから),大規模な電子機器は将来が心配である。
本質的にはただのモニターに過ぎないかもしれないものに大金をかけて,5年後すぐ撤去するような事態が,全国の大学で生じてしまうのではなかろうか,などといったことを,「ガラケーの問い合わせ機能」の回顧から,上から目線で言ってしまうのである。

今よりよくなるように働く

私論

以下は自分の職場のことではないという前置き付であるが、働く中で何かを良くしようとすると、「そんなこと言ってもそれは1ではない」といった指摘を受けることはないだろうか。
まあ、ここでの働くというのは職場にかかわらず、仕事をめぐる学内外のことと広くとらえてもらいたい。
つまり、0.1を0.2にしようとしているのに、「1ではないからダメ」と一刀両断されることはなかろうか。
気持ちの優しい人にとって、これはなかなか辛いものがある。
挑戦心が削がれても仕方なかろう。
0.1や0.2で悩んでいる人も、自分の仕事が1でなきことはわかっているので、結局毒にも薬にもならない。
「あ、はい…」といった感じでしょんぼりしてしまうに留まる。

何かを良くしようと思えば、それに伴って従来のやり方が変更されることもある。
それを面倒だという気持ちもわかる。
また、1のゴールを知っている人から見れば、0.1を0.2にしたところでダメダメに見えるということもわかる。
0.1なんてほんの小さい上澄みに過ぎないかもしれない。
しかし、その小さなことをバッサリ切られてしまうと、気持ちの優しい人は萎縮してしまう。
とりあえず、何かに挑戦したり、改善したりしようとしていることがわかれば、まずは頑張って「ええやんけ」と賛同することが重要であるように思う。
その上で、目的に合わせた身のあるアドバイスを送れば良い。
一刀両断するのはむしろ簡単で、実務の難しさは白黒のつかない曖昧なところで起こる葛藤にある。
めんどくさいなと思っても、今よりプラスになるならやる。
そうした姿勢をサポートする環境が大事ではなかろうか。

その上で、「やっぱり前の方が良かった」と結論づけられることもある。
けれど、その葛藤と行程は決して無駄ではない。
「BプランよりAプランの方がいい」ということが実証できるからだ。
もしもAプランしか持っていなかったら、比較対象がないので良し悪しが判別できない。
そういう意味でも、今よりプラスになるならやる、という姿勢を支える環境は、失敗を許容する雰囲気に支えられることになる。
失敗が許されない雰囲気だと、重きを置くのは今よりプラスになるかどうかではなく、失敗に繋がり易いかどうかになってしまう。
そういった雰囲気を醸成するためには、意図的に空気を読まないことも大切になるように思う。
いかにして空気を読まずに前向きな行動を続けるかが大事であるということである。
仮にそうしたときに、その行動は一体何によって支えうるのだろうか。
個人の価値観か、組織の文脈か、それ以外か。
自分の中で答えは出ていない。

修論は出したけれど……

RIHE 大学院

1月末に修士論文を提出した。
昨年,他大学の友人が同様の状況にあって,提出後にFacebookで素晴らしい文章を書いていたのだが,自分はそのようなものを書けそうにない。
1月中旬に,法人にとっても自分にとってもきわめて重要な仕事が入ってきたこともあって,執筆をうまく追い込むことができなかった。
このようなときに仕事を優先するのは当然なのだが,もう少し早くその仕事のことがわかっていれば,予定をうまく調整したのに…という悔しさがあった。
とはいえ提出はできたのだが,自分の目指すところは単に提出することではなかった。その意味で後悔は大きい。

今回勉強になったのは,自分は体力・精神的にも,環境的にも,「重要な〆切の前に追い込むことは難しい」ということだ。
だから,意図的に自分でハードルを設けて,あらかじめ追い込んでおく必要がある。
そしてその〆切は,できるだけ公式のものが望ましい。そういうことを考えた。
だから,やはり自分の場合はインプット→アウトプットではなく,アウトプット→インプットのサイクルの方が,やはり望ましいようだ。
アウトプットの機会を設けることによって,それに向けてインプットをする。これがいいと改めて感じた。

自分がこんなことを言ってはいけないのかもしれないが,同業の友人に,あまり気軽に「大学院行こうぜ」とは言えない。
件の友人は最後をその言葉で締めていた。
それを否定したいわけでは当然なくて,むしろ尊重したいと思っているし,Facebookの文章からはその説得力があふれていた。
一方少なくとも,自分の行い,姿勢,生活,この文章からは,そのような説得力は読み取れまい。
30歳前後の時間を大学院進学に使うということは,大きな人生の選択であった。
その選択は,やはり自分は誰も彼もには勧められない。行動選択の結果責任をとれないからだ。
もちろんいいこともある。しかしそれ以上に,苦しいことの方が多い。それは学生としての研究だけではなくて,仕事をする上でも苦しいことが増える。
その苦しさを引き受けるか引き受けないかという選択が,大学院に行くか行かないかをわける。

幸い,自分は職場や同僚の理解とバックアップを受けて通学できた(たとえば,異動したあとも通学できるように学長決裁をいただくなど)。
しかし,そうしたバックアップが全く得られない職場もあるだろう。
そういった大学では,自分よりはるかにしんどい思いをすることは想像に難くない。
だから,やはり誰も彼もには勧められない。
「行ってよかった」と言えるかどうかも,今はまだわからない。
そう言えるように,事後的に導いていくしかない。